ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

自信の無さ 自己否定はどこからくるのか その2

実を言うと 

私自身も自信が無い人間です

今はかなり自己肯定感が上がってきたと思っています

 

でも、私には

「いじめららた」経験も

「親や家族の期待に応えられなかった」経験も

「学校や社会に合わせることができなかった」経験も

無いのです

 

それでも何故、自信が無く人と上手く付き合うことができなかったのか

 

先日ガラス吹きをしていて 

自分を見つめることができました

私は草取りをしているとき よく自分を見つめることができるのですが

今回はガラス吹き

どうやら 何かを無心で行っているときに 内観できるようです

 

こんなことを書くと自慢のように思われるかもしれませんが

私は何不自由なく 両親に愛されて育てられました

勉強もできた方です

学級委員にも選ばれていました

音楽も図工もできたほうで

歌もまあまあ リコーダーも得意でした

絵も市展や県展で入賞していました

姉妹のなかでもこれらのことは一番良かったと思っていました

 

でも、引っ込み思案で自分から進んではできませんでした

暗い自分をいやだなあと思っていました

私の名前と合っていない性格

なんで親はこんな名前を付けたのだろうとも思ってました

 

何故なんでしょう

何故自己肯定感が低いのでしょう

 

想いあたったのは 他人と比べていたということです

 

運動は苦手でした

走るのは姉妹で一番遅かったと思います

動体視力が悪くて球技も不得意

 

容姿もガリガリで背が低くてO脚で

目が小さくて一重で 眉毛は下がっているし

はえらが張って四角いし

くせ毛だし

美しい同級生を見て 劣等感

 

音楽を勉強して

リズム感なし 和声感なし 指が動かない 楽譜がパッと読めない

運動できる子は音楽もできるんだよ に気づき

益々自信喪失

 

他にも欠点ばかりに目が向いていた

人と比べて劣っていると思うところばかりに

 

世間の物差し 他人の物差しで自分を見ていた

自分の本来の良さに目を向けず

他人ばかりを気にして生きてきた

 

無いものばかりを数えて 

有るものを見て来なかった

 

これは誰しもが思っていること

人より優れた存在でありたい

人の中で 社会の中で生きている人間の性かもしれない

自分のDNAを残したいという生き物の性なのかもしれない 

 

でも

この世に誰一人同じ人間はいないのだから

違っていて当たり前

皆同じだったら怖~い

存在している価値がない

 

唯一無二の存在

この広い宇宙の中に 地球の上に

存在していることが奇跡

 

みんな違うから

得意なところを出し合い

苦手なところを補い合い

人間社会は 進歩してきたのだよね

皆が違う役割を担って

 

何でもできる人間は 天狗になって人の痛みが分からない

苦労を知らない子どもみたいな人

苦手なことがある人は 人の痛みが分かり優しくなれる

 

でもね、得意なことをよいこと

苦手なことを悪いこと

と、捉える必要はないんだよね

表裏一体 陰と陽なのだから

色々な面を持っているのが自分自身なのだから

 

そして、得意不得意 よい悪いを気にするから

人間の価値をそれで決めてしまう

これが間違いなんだよね きっと

 

だって自分は自分

唯一無二の存在なんだから

存在するだけで素晴らしいのだから

命がここにあることが奇跡なのだから

 

親も子どもが生まれたときに思ったこの思いを

ずっと持ち続けていたい

親が良い子にしたいと思うことが

比べること 間違えの始まりかもしれない

生まれたときから すでに素晴らしいのだから

 

私は性善説

周囲の環境で どのようにでも染まっていく

 

宇宙の中に 地球の上に 自分という存在があるのだから

一人一人が皆唯一無二の存在で

大切にされて当たり前なのだから

 

人と比べることはやめて 自分の価値を大切にしたい

無いものを数えることを止めて あることを数えたい

自分を好きでいたい 愛していたい

 

2021年の終わりに考えたことでした

皆さま よいお年をお迎えください