ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

9月17日 亡き父に感謝

9月17日は 私の亡き父の誕生日です。

 

大正7年生まれの父です。

8年前に 享年98歳で旅立ちました。老衰、大往生でした。

 

でも、父は生きるか死ぬかの出来事を何度も潜り抜けてくれました。

父が生き抜いてくれたからこそ、私は生まれることができたのです。

今の私がいて、私の子どもたちへと命を繋ぐことができました。

ありがとうございます。

 

父は気が短いところがあったと母は言いますが

私たち姉妹には穏やかで物知りで色々教えてくれました。

会社の方たちへの面倒見も良く、慕われていたようです。

そういう父にも感謝しています。

わたしにとって男性の理想像、父親の理想像でした。

 

父の母、私にとっては祖母ですが

身体が弱く、父が幼少のころに亡くなったそうです。

身体が弱くても父を生んでくれた祖母にも感謝です。

 

さて、父の生きるか死ぬかのできごと

 

父は横浜生まれです。

そう、9月1日の関東大震災

家が倒壊したそうです。

まだ、幼く体が小さかったので、梁の隙間で助かったそうです。

 

太平洋戦争にも行きました。

父は軍隊生活のことを話すことは全くありませんでした。

思い出したくない大変な悲惨な経験だったのだと思います。

88歳の米寿のお祝いをしたとき、初めて皆の前で語ってくれました。

まずは大陸に派遣されたということです。

父はこんな戦争で無駄死にはしたくないと思ったそうです。

 

父は理系の専門学校出でしたから

トラックの輸送部隊に志願し トラックの運転や整備を習い

補給物資を運んでいたと言います。

 

それでも前線で戦わなければならないときもあり

敵の弾をかいくぐる時には塹壕でヘルメットを脱いで

それを銃剣でかざして

敵が撃ってくる合間を縫って移動したそうです。

その方法で部下も助けたそうです。

 

戦争が日本不利になっていったとき

父の部隊はインドネシアに行くことになりました。

何隻かの船が渡ったのだそうですが、ほとんどが撃沈させられ

父の乗った船だけが無事にインドネシアに着いたのだそうです。

 

ジャングルの中での戦い

そして終戦

父はマラリヤにかかっていました。

帰国してからも苦しんでいましたが、命はとりとめました。

 

若いころに苦難を味わってきた父。

その後は高度経済成長期に企業戦士として働き

会社での地位を築いて成功していきました。

私たち家族は何一つ不自由なことはなく幸せに暮らしてきました。

私たち姉妹は進む道も自分自身で決め、

父がレールを敷くことはありませんでした。

 

私の息子が不登校になったとき

多くの家庭の父親が一般常識や世間体で

「お前の教育が悪いからだ。」

と、母親である娘を責めることが多いのです。

ですから、誰にも相談できず悩む家族が多いのです。

が、父は何も言いませんでした。

 

それどころか、父は私の願いを聴いてくれたのです。

私は息子に好きなことをやらせてあげたいと思ったのです。

息子は鉄道が好きで小さいころから鉄道模型で遊んでいました。

ジオラマも作っていました。

大きいのを作りたいと言うので、ジオラマの台を作って欲しいと頼みました。

実家のガレージで父と息子と二人で作っていました。

(我が家はそんな雰囲気ではありませんでしたから)

大き過ぎて未だ完成しないジオラマ模型 
ひきこもっていたときは好きなことにも手を付けることができなかった息子
それだけエネルギーが落ちていたのだよね。
今、息子が来ると少しずつ増えてる?

本当に父には感謝しかありません。

息子も恩を感じていたのでしょう。

父がだんだん弱っていったとき、父が元気になってくれるようにと

色々考えてくれました。

 

父が亡くなったとき

私は夫とのことで悩んでいました。

それで初めて占いをしてもらいました。

自分の今後を視てもらいに行ったのですが・・・

何故か私の家族のことに・・・

父母や姉妹の誕生日

息子や娘の誕生日を聞かれました

 

そして、言われたことが

「お父さんを水難から守っていた人がある。」

「白い着物を着た若い日本髪の女性」

心当たりはないかと聞かれたけれど、そのときは???

 

帰宅してから、あっと思った

おばあちゃん!

若くして父を残して亡くなった祖母

明治生まれだから日本髪だよね

おばあちゃんが守ってくれたから父の船は沈まなかったのだと。

 

不思議な話だと思ったけれど、

私はおばあちゃんの愛情を信じた。

父を守ってくれてありがとう。命を繋いでくれてありがとう。

 

占い師さんは、私の根元(もと)である両親、祖先のことを

気づかせてくれたのかなあと今となっては思うのです。

息子や娘にとっての根元である夫と私

その私たちが揺らいでいてはいけないのだろうと。