ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

9月17日 亡き父に感謝

9月17日は 私の亡き父の誕生日です。

 

大正7年生まれの父です。

8年前に 享年98歳で旅立ちました。老衰、大往生でした。

 

でも、父は生きるか死ぬかの出来事を何度も潜り抜けてくれました。

父が生き抜いてくれたからこそ、私は生まれることができたのです。

今の私がいて、私の子どもたちへと命を繋ぐことができました。

ありがとうございます。

 

父は気が短いところがあったと母は言いますが

私たち姉妹には穏やかで物知りで色々教えてくれました。

会社の方たちへの面倒見も良く、慕われていたようです。

そういう父にも感謝しています。

わたしにとって男性の理想像、父親の理想像でした。

 

父の母、私にとっては祖母ですが

身体が弱く、父が幼少のころに亡くなったそうです。

身体が弱くても父を生んでくれた祖母にも感謝です。

 

さて、父の生きるか死ぬかのできごと

 

父は横浜生まれです。

そう、9月1日の関東大震災

家が倒壊したそうです。

まだ、幼く体が小さかったので、梁の隙間で助かったそうです。

 

太平洋戦争にも行きました。

父は軍隊生活のことを話すことは全くありませんでした。

思い出したくない大変な悲惨な経験だったのだと思います。

88歳の米寿のお祝いをしたとき、初めて皆の前で語ってくれました。

まずは大陸に派遣されたということです。

父はこんな戦争で無駄死にはしたくないと思ったそうです。

 

父は理系の専門学校出でしたから

トラックの輸送部隊に志願し トラックの運転や整備を習い

補給物資を運んでいたと言います。

 

それでも前線で戦わなければならないときもあり

敵の弾をかいくぐる時には塹壕でヘルメットを脱いで

それを銃剣でかざして

敵が撃ってくる合間を縫って移動したそうです。

その方法で部下も助けたそうです。

 

戦争が日本不利になっていったとき

父の部隊はインドネシアに行くことになりました。

何隻かの船が渡ったのだそうですが、ほとんどが撃沈させられ

父の乗った船だけが無事にインドネシアに着いたのだそうです。

 

ジャングルの中での戦い

そして終戦

父はマラリヤにかかっていました。

帰国してからも苦しんでいましたが、命はとりとめました。

 

若いころに苦難を味わってきた父。

その後は高度経済成長期に企業戦士として働き

会社での地位を築いて成功していきました。

私たち家族は何一つ不自由なことはなく幸せに暮らしてきました。

私たち姉妹は進む道も自分自身で決め、

父がレールを敷くことはありませんでした。

 

私の息子が不登校になったとき

多くの家庭の父親が一般常識や世間体で

「お前の教育が悪いからだ。」

と、母親である娘を責めることが多いのです。

ですから、誰にも相談できず悩む家族が多いのです。

が、父は何も言いませんでした。

 

それどころか、父は私の願いを聴いてくれたのです。

私は息子に好きなことをやらせてあげたいと思ったのです。

息子は鉄道が好きで小さいころから鉄道模型で遊んでいました。

ジオラマも作っていました。

大きいのを作りたいと言うので、ジオラマの台を作って欲しいと頼みました。

実家のガレージで父と息子と二人で作っていました。

(我が家はそんな雰囲気ではありませんでしたから)

大き過ぎて未だ完成しないジオラマ模型 
ひきこもっていたときは好きなことにも手を付けることができなかった息子
それだけエネルギーが落ちていたのだよね。
今、息子が来ると少しずつ増えてる?

本当に父には感謝しかありません。

息子も恩を感じていたのでしょう。

父がだんだん弱っていったとき、父が元気になってくれるようにと

色々考えてくれました。

 

父が亡くなったとき

私は夫とのことで悩んでいました。

それで初めて占いをしてもらいました。

自分の今後を視てもらいに行ったのですが・・・

何故か私の家族のことに・・・

父母や姉妹の誕生日

息子や娘の誕生日を聞かれました

 

そして、言われたことが

「お父さんを水難から守っていた人がある。」

「白い着物を着た若い日本髪の女性」

心当たりはないかと聞かれたけれど、そのときは???

 

帰宅してから、あっと思った

おばあちゃん!

若くして父を残して亡くなった祖母

明治生まれだから日本髪だよね

おばあちゃんが守ってくれたから父の船は沈まなかったのだと。

 

不思議な話だと思ったけれど、

私はおばあちゃんの愛情を信じた。

父を守ってくれてありがとう。命を繋いでくれてありがとう。

 

占い師さんは、私の根元(もと)である両親、祖先のことを

気づかせてくれたのかなあと今となっては思うのです。

息子や娘にとっての根元である夫と私

その私たちが揺らいでいてはいけないのだろうと。

 

 

 

 

発信し続ける 気持ちを新たにしました💓

皆さん、お久しぶりです。

な、なんと1年2か月ぶり

 

前回は2か月ぶりのブログです と書き始め 

そしてそれを書いたまま

今回は1年以上経ってしまっていた・・・・・・・・

 

前回「使命に近づく 波に乗る」という題名で

お世話になったカウンセラーさんからの薦めで

自分で相談活動を始める   

という決意の記事を投稿したまま・・・・・・・

 

この1年間、何をしていたのか・・・・・・・

 

決して何もせず ぼーーーーうっと していたわけではない

むしろ ずっと動いていた 相談活動もやってみた

決意を実現させようとずっと動いていた

動いてみたもの 上手くいかず もがいていたというか

 

そんなブロブなのですが、

もがきながら、新たに取り組み始めたことがあり

書いてみようかという気持ちになり

マイページを開いたら  えっ????

8月終わりからのアクセス回数が急に増えているのです

1年更新していなくても 1日10名ほどのアクセス

    (人''▽`)ありがとう☆ございます

ところが、ここ1週間は急に50名近く

9月4日(月)は100名近くのアクセス

夏休みが終わり学校が始まって 次の月曜日・・・・・・・

 

そうなのです、夏休みが終わり

学校へ行くことに不安を感じ

思いつめてしまう若者が増えてしまう時期

いざ始まって しんどさが現実となってきたとき

 

政府も報道を通じて「一人で悩まないで」と呼び掛けたり

新聞でも そういう記事を載せたり

TVでは 特番を組んだりしている時期

 

やはり、以前から私がお役に立ちたいと始めたこと

今それを前進させて行動していることを発信しようとしたことは

今の社会で必然だったのだと

 

今、私が取り組んでいることは

岐阜市市民活動団体「心のほっとサロン」の立ち上げ

昨年は一人で相談活動を始めたが上手くいかなかった

上手く発信できずに終わってしまった

そこで、私の考えに賛同して協力してくれる仲間と市民活動団体を立ち上げた

 

不登校・ひきこもりの方やその親御さんの居場所を作り

悩みを聴くこと相談に乗ること

ただ、そういう方々だけの居場所ではなく

地域の方などのごく一般の方も立ち寄り

小さな社会・コミュニティを作ることができる居場所

お互いが理解しあえる居場所

カフェもあり お茶をしながらのんびりしたり

楽しく話をしたり

イベントを開いて、

自分の好きなことを見つけたり挑戦したり

カフェやイベントのお手伝いをして

働く体験をして自信をつけること

そして、働くことに繋げていくことができる居場所

不登校・ひきこもりの方々だけの居場所では

社会と繋がることができない

始めはスタッフだけとの繋がりでも 

社会と少しずつ繋がっていける居場所を作りたい

そんな思いを発信し続けていたら

先日やっと居場所にするカフェが見つかった(∩´∀`)∩

オーナーさんが私と同じような思いをもった方だったのです

その方も ご自身が悩み苦労をされてきた方なのです

 

現在は「心のほっとサロン」のイベントとして

「勇者の祭典 2023 IN岐阜」11月11日(土)に向けて動いている

不登校・ひきこもりの人数は

息子が不登校・ひきこもりになった頃より益々増え、

8050問題が深刻化している、脱出できている方が少ないのです

その現実を知ってもらったり

解決のためには本人を動かそうとするのではなく

家族の支えが大切なこと、その家族を取り巻く社会の在り方が大切なこと

それを訴えるイベントなのです

私が今までのブログで発信し続けてきたことなのです

 

私が今までブログに書いてきたことは

不登校・ひきこもりを親子で乗り越えてきた体験

それをお知らせして

今悩んでいる皆さんに

大丈夫なんだと 希望や勇気をもってもらうため

家族の方に 安心してもらうため

 

だって、親の心配や焦りは 波動として 

優しく繊細で感受性が高い子どもたちにすぐ伝わって

子どもたちに罪悪感や自己否定を抱かせてしまうから

それでは、不登校・ひきこもりから脱出できないのです

 

現在、不登校やひきこもりが増えているのを

コロナ禍でコミュニケーションが制限された結果と言われるが

それが分かっているなら方法はなかったのか

制限してきたのは社会であり、もっと対策を考えるべきだった

子ども・若者を取り巻く社会の在り方の問題にすぎない

家庭・家族・親子関係の問題にすぎない

 

と、私は思うのです。

 

今、不登校・ひきこもり経験者でやはり心を痛め

自分の体験が役に立てばと発信者が増えていますが

私も「その親」として発信し続けていこうと改めて思ったのです

子どもの心も親の心も分かるからです

 

人目を気にしたり人と比べたり競争したり人と争ったりする必要はなく

自分のことをだめだと思ったり心配したりすることなく

安心して穏やかに暮らすことができる

ありのままの自分をみとめ好きになる

 

家族が楽しく暮らすことができる

家庭が明るくなる

 

人々が他の人を思いやり信頼する社会

日本中が・世界中が幸せになる

 

ささやかな幸せを感じることができる

 

そんな世の中を目指して

発信し続けたい

 

 

 

このブログを書いていると

夫が手紙を持ってきた

驚きのショックな内容の手紙だった

息子が我が家がお世話になったカウンセラーさんの

訃報 Σ(・□・;)😢

そのカウンセラーさんに出会わなかったら

今の息子はいなかっただろう

私も変わることができなかっただろう

我が家の幸せはなかっただろう

 

私に相談活動を薦めてくれた方

カウンセラーさんから教えて頂いたこと

カウンセラーさんから受け取ったことを

私は発信し続けていきたい

発信し続けます❕

 

 

 

お題「ささやかな幸せ」

使命に近づく 流れに乗る

2か月ぶりのブログです

 

ここ2か月で

私にとって目まぐるしい展開

 

息子が回復に近づいた4年ほど前から

生きづらさを抱えた方やそのご家族に

私の体験をお伝えし 元気になって頂くこと

それが私に与えられた使命だと感じてきた ☆彡

 

 

NPO法人仕事工房ポポロで

家族会や居場所のお手伝いをし

 

支援をするときに役立つだろうと感じたことは

カウンセリングなど色々挑戦し学んできた

 

そうやって取り組んできたことが

最近 嬉しい展開になってきた💓

 

 

当事者の悩んでいらっしゃる方々にお声がけをして

お話を聴いてきた

 

そんな方々が少しずつ元気を取り戻してくれている

皆さん波はあるけれど

少しずつご自分を認めるようになってくれている

 

そんな様子を見たりお話を聴いたりしていると

私も嬉しくなってくる

少しお役に立てているかなあ

 

 

家族会では

自分が開催している会ではないので

少し物足りなさを感じ始めていた

そして

今まで 私たち家族を支援してくださっていたフレンドスペースの講座が

このコロナ禍でしばらくなくなっていた

どうなるのかとカウンセラーの桝田宏子先生と電話をしていた

 

すると

「亀山お母さんがいた❣」

「???」

「お母さんが講座をやればいい。長年取り組んで結果を出しているのだから。」

「冗談はやめてくださいよ。」

「いや、大丈夫。勉強もしてきたのでしょ。そうしましょう。」

「私では、今まで一緒に学んできた方がついてきませんよ。」

で、電話は終わった。

 

しかし、そのあともフレンドスペースと相談したと電話がかかってきた。

私にできると言ってくださるなら

自分が使命と感じていることなのだから

チャンスを与えて下さったことなのだから

チャレンジする意味はある🌈🤩

 

チラシの見本もおくられてきた

何と、専門の先生方と同じ高額料金

それは無理でしょう

経済的に厳しい方もあるのだから

誰でも参加できる料金にしてくださいとお願いすると、

「親の本気度が大切。ボランティアでやっていると

 親御さんが助けてもらおうと頼ってしまう。

 これでは結果は出ない。

 親が覚悟を決めてやらないと。」

確かにそうだ。

私は自分の力で家族を変えたいとやってきた。

息子を追い詰めてしまった私たちが真剣に取り組まないとと思ってやってきた。

だからこそ、結果が出ているのだから。

 

料金設定は適正かなと思われる価格で相談して

新しいチラシ原稿が送られてきた。

以前の会員さんには送付済みとか

 

桝田先生がここまで準備して下さったもの

私は有難くその流れに乗っていく

最初から上手くいかないと思うが

あとは私の意志次第

自分の使命に対する気持ち次第 熱意次第

誠心誠意やっていくだけ

 

現場をご存じない机上の学習のカウンセラーさんより

体験した自分の強みを活かしていきたい

 

 

気になる方、ご連絡くださいね。

 

 

平和・・・

昨日5月28日 土曜日

JR岐阜駅前の広場を見ていて

「平和だな~。幸せだなあ~。」と感じた

 

でも、

「今 ウクライナではロシアが侵略戦争をしている。

 ミサイルがとび建物を破壊し、銃撃で多くの人が亡くなっている。」

他にも、内戦が続いている国

一部の人が 差別され虐げられている国 などなど

平和でない国 不幸な暮らしを余儀なくされている人々もある

 

日本だって

コロナ禍で仕事に影響を受けたり 暮らしに影響を受けたり

災害で全てを失い 復興へ向けて道半ばであったり

不登校 ひきこもりなどの生きづらさを抱える人が増えたり

 

そう思うと 胸が痛くなってくる

今 自分が好きなことを楽しんでいることに

使命と感じて動いていることに

虚しさを感じた

 

【信長夢広場】【岐阜城

岐阜で信長が活躍していた時代

日本では戦いが続いていた

その前の時代も その後の時代も

そして、平和を求めていた

 

明治以降は海外を相手の戦争

国民はプロパガンダに踊らされ

戦争に突き進んだ

洗脳されていた

私の父母はそんな時代を生き抜いてきた

 

敗戦してから

平和を求めてきたが 戦争放棄をしたが

武器を武力を核を持つ国から守ってもらうための 

日米安保条約・・・

 

ああ、人間は煩悩のかたまり

自分の欲望を前面に出し

自分が全て正しいと思い込み

自分が優位に立ちたい

自分が手に入れたい

と、争いを始める

 

何故 話し合いで解決しようとしないのか

何故 一歩譲ろうとしないのか

何故 相手の気持ち立場を考えないのか

何故 平和に向かう努力をお互いができないのだろう

 

地球上の全ての人々が

思いやりの気持ちを持ち

仲良く平和な世界になるように 私は祈ることしかできない

気持ちを切り替えて 

私と出会う人たちが

明るく 朗らかに なかよく 楽しく

暮らしていけるように

いつも笑顔でいたい

この平和の世に生きていることを感謝したい

 


 

自信の無さ 自己否定はどこからくるのか その5 私の幼児決断

前回の投稿から 何と2か月以上経ってしまっていました

その間 仕事工房ポポロでのAKIRAライブ実行委員会の立ち上げ

息子の結婚お披露目会

友だちが立ち上げた「癒しの館」オープニングイベント週間への協力

そしてTA心理学セミナーへの参加

相変わらず色々動いてました

そうそう 畑での夏野菜栽培の準備も

 

今日はTA心理学で学んだ幼児決断について

これが自己否定にすごーく影響しているのですよ

 

TA心理学セミナーは2月20日から

毎月第3日曜に計8日間

日本で3本の指に入ると言う先生が大阪から

主催者(倫理法人会の友人)のセミナールームに来てくださってで開講してくれると

呼びかけがあったので参加することにしました(格安なんです 有難い❣)

 

TA心理学というのは交流分析の一種

個人、カップル、家族、組織などが成長するためのシステマティックな心理療法の一つ

TA心理学の目的は

自律(今ここで必要な力を発揮できる)ことにあります

それができないのは「はまる」からだそうです

「はまる」のは小さいころ自分で決めてきた「幼児決断」

自分の価値観がそこにあるというのです

  私は・・・

  他人は・・・

  人生は・・・

  男は・・・

  女は・・・

  家庭とは・・・

  お金とは・・・

  時間とは・・・

  ・

  ・

  ・     などなど

そして、ことが起きると

幼児期の問題解決の方法をそのままとってしまうということなのです

それが「はまる」ということ

 

TA心理学の目的は【主体変容】

自分で気づく 変わる

自分を知って 自分を変える

 気づき

 自発性(自己責任)

 親密性 思っていることを相手に伝える

     相手のことを受け入れられる

それが自律

 

TA心理学の哲学は

・人はOKである(存在)

・考える力がある

・運命は変えられる

 

ことが起きたとき「はまる」ことはあるけれど

そこから如何に早く抜け出せるか それが問題解決で

「再決断」をすればいいのだそうです

 

私は幼少期は幸せな家庭に育ち

自分がどんな「幼児決断」をしてきたのか分かりませんでした

 

今回の講義でも

「5・6歳ごろ家で起きた出来事で周囲の人がどんな行動をしていたか」

という質問に 私は何も思いつくことがなかったのです

何も家で問題はなかったし・・・

 

しかし、その後カップルを作り1対1でそれを交流しているとき

気付いたことがあったのです

父も母も穏やかな性格で お互い言い合いなどをした姿は見たことがなかったのですが

その姿から 私は

家庭とは・・・

夫(男)とは・・・

妻(女)とは・・・

と、それが理想の姿と幼児決断をしていたのです

そんな家庭をつくりたい 

夫は男としてこうあるべき

私は女として・・・

 

私は3人姉妹の真ん中

父は男の子も欲しかったようで

一番色々なことができた私に(ごめん自慢するつもりではないのだけど)

「○○が男の子だったらな」と言われたことがあったことを思い出して

女じゃいけないの・・・と

「幼児決断」していたのだと思いました

 

そして、エゴグラムから分かる私の性格・自我状態では

〔NC〕自然な子ども が低くて

〔AC〕順応の子ども が高い私

姉が反抗している姿を見て

「おとなしく従っていた方が得」

と上手に振る舞う「幼児決断」をしてきたのだなあと気づいたのです

また、幼稚園のときの「嫌だったことを何も言わず我慢していた」体験から

ただ「我慢」というより「怒り」を表面に出さないこと

〔AC〕順応の子ども のなかでも

〔RC〕反抗的な順応の子どもということが分かったのです

「自信がない」というより「受け入れられない怒り」だったのです

 

自然な感情を自由に表に出さない「私」

家庭とは・・・と幼児決断してきた「私」

 

私のモヤモヤが晴れてスッキリしたTA心理学セミナーでした

 

だから、私が作ってきた「家庭」「夫」は 

私が理想を口にしたとき それを受け入れられず

「怒り」が湧いてきたけれど それの感情を出さず

順応に従ってきたふりをしていた・・・

 

今、それが分かったので「再決断」できた私です

 

皆さんは どんな「幼児決断」をしてきたでしょうか

それを考えてみると

ご自分が「自己否定」してきた理由が分かるかもしれません

 

私は低い〔NC〕自然な子ども を上げて

「自己肯定感」を高めていきたいと思っています

方法は簡単 

毎朝鏡を見て 自分でニコリ笑い 今日も頑張るぞ と言うぐらいでいいのだそうです

私はAKIRAさんの歌「MOVE MOVE MOVE」も歌ってます。

 

 

 

 

 

 

自信の無さ 自己否定はどこからくるのか その4 そして自己肯定感へ

1月10日に投稿して以来約1か月経ってしまいました。

その間、色々ありましたね。

良いことが多かったけれど、やってしまった(;゚Д゚)ということもありました

でも、それも大事に至らず 感謝の気持ちで過ごすことができました

やることがいっぱいで動くことができる 

充実していて幸せなことです

 

自己否定はどこからくるのか・・・

前回、書こうと思っていたことと全く違うことになり

今回 その4はそれについて 書きます

 

実は このブログで今までにも書いたことなのです

それを詳しく書きます

私が一番大切だと思っていることです

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この図は 我が家がお世話になってきた

フレンドスペース、SCSカウンセリング研究所の桝田宏子先生が

講座でいつも描かれるものです

アメリカの心理学者マズローの「自己実現理論」に基づいたものです

マズローは「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、

人間の欲求を5段階の階層があると説いています

①生理的欲求

②安心安全の欲求

③社会的欲求

④承認欲求

自己実現の欲求

 

①の生理的欲求が存在承認欲求です

 何も自分でできない赤ちゃんが泣いてお乳を欲しがったり、

 お尻が濡れて気持ち悪いとと訴えたりすると 親が受け止めてくれる

 自分がここにいていいんだ 自分は受け入れてもらえているのだと

 

②の安心安全の欲求が愛情承認欲求

 自分の足で動けるようになり色々やってみたくなり

 親から少し離れて行動するようになるけれど

 まだまだ不安で親の様子を見ながら

 上手くできないときや怖いときは親の助けを求めながら行動する

 そこで親に守られていると愛情を確かめ安心安全を感じている

 

この段階があって初めて「自己肯定・自信」が生まれる

 

そしてここで初めて

③の社会的欲求、社会参加・貢献したいという欲求が出てくる

自己肯定感が育っていないと、社会にでて辛いことが起きたとき

家庭に戻ってしまう

 

現在の日本においては①の生理的欲求、存在承認欲求の不足は

ネグレクトの場合起こりうるし

親の都合で施設などで育った子は手が足りず十分ではないかもしれない

 

しかしそれ以上に今の日本社会に日本の子育てに必要なのは

②の安心安全、愛情承認欲求と思っています

 

親は誰しも自分の子が可愛いし 愛しています 幸せにしたいと思っています

でも、実は子どもの方が親を愛しているのです 親を幸せにしたいと思っているのです

赤ちゃんは親(特に母親)を選んで生まれてきます

このお母さんが好きだ このお母さんを幸せにしたいと

 

だから、子どもは親の様子をよく見ています

親のことをとても気遣っています

 

例えば

 

共働きやシングルマザーで親が仕事に忙しい時

下に弟や妹が生まれて 手がかかるとき

祖父母や障害をもったかたの介護をしているとき など

今は忙しそうだから ちょっと我慢しておこう

お母さんは大変なのだから 私が困らせてはいけないな

私がお母さんを助けなきゃ

 

あなたは○○が上手ね すごいね

挨拶ができるし お手伝いもできるしいい子だね

勉強もできて 将来いい高校に入っていい大学に入っていいところに就職して

 きっと幸せになれるよと 親の価値観を押し付けてしまいます

お母さんは子どもん頃○○をさせてもらえなかったから、あなたにはやってあげたいの

お母さんはできるわたしのことを褒めてくれる

できない私を お母さんは認めてくれないんだ

言うことを素直に聞いてい頑張っていたら お母さんが喜ぶな

お母さんの夢を叶えてあげるのが 自分の夢でもあるんだ

 

勉強や友達関係で悩んでも

こんなことを言ったら お母さんは心配するだろうな しんぱいかけたくないなあ

 

親が謙遜して(日本人の美徳と言われていますが)人に

  「この子は ○○でだめなんですよ。」

  なんて言ってしまいます。

なんて言うと 反発できる性格の子はいいのですが

  感受性が豊かでおとなしくてお利口な子ほど 

  自分は親に認められないダメな子なのだ と思い込んでしまうのです

 

親が夫婦喧嘩をするのをみたり

親に虐待されてりしても

自分が悪いから 親は喧嘩するんだ 仲が悪いんだ

自分が悪い子だから 叱られるんだ 自分が悪いんだ

 

そんな素直な けなげな子に

 いい子だ 手間のかからない子だ 助かるわと

 正面から向き合ってこなかったのです

 

親は十分に子どもを愛しています 

子どもも親のことが大好きです

 

でも、生活のかかる色々な問題の中で生きています

もう少し厳しいことを言わせて頂ければ

親の無条件の愛情ではなく

親の条件付き愛情だったのです 親の都合の良い愛情だったのです

このようなことが続くと 子どもは自分では意識していないけれど 

  親から十分な愛情をもらえていないと深層心理で感じています

  私は私ではいけないんだ 親の愛情に応えていない私はダメなんだ

 

十分に甘えることができなかったと深層心理で感じているからです

 

子どもの心は不安定なのです

安心安全を感じていないのです

そこで、ボタンの掛け違いが起きてしまうのですよね

お互いに愛し合って相手のことを思ってきたのに...

 

ですから

不登校やひきこもりの子は 育ちなおしが必要なのです

自分が安心安全でいられる居場所が必要なのです

それが 家庭家族なのです

「無条件の肯定的関心」

あなたはあなたのままでいい

どんなあなたも あなたなのだから

生きていてくれることが奇跡ですばらしい

何があっても何が起きてもあなたを見守り守り抜くよ

 

親の立場でかきましたが 

子どもも同じことですよね

 

できることも できないこともあるけれど

そのすべてが自分自身

どんな自分もそのままでいいんだ ありのままでいいんだ

できない自分を責める必要はない

自分が生きていることに価値があるんだ

生きているだけで 周りを幸せにしているんだ

 

 

そして、最後にもう一言

息子も言っていたのですが

教師などがよく言う一言

「頑張れ、やればできる‼」

この言葉は 辛いことですよ。今まで頑張ってきたのだから

頑張っていないと否定されているわけですから

 

安心安全の上の 自己肯定感が育っていないのですから

土台がしっかりしていない逆三角形に乗せたって

崩れるだけです

社会生活を始めることを要求したってダメなんです

 

安心安全の居場所を家庭内につくることが大切です

それをいきなり作ろうとしても難しいです

お子さんが生まれてから十数年いや何十でで出来上がってきた家庭です

それを作り直すわけですから

でも、できます。その覚悟さえあれば

私も そうしてきましたから。

 

これが私が息子と歩んできた道のりから得たものです

私たち家族は 今、幸せです

息子が辛い人生を歩み教えてくれたことです

息子の人生をさらに輝かせるために 私はお伝えしています

 

 

  

 

 

自信の無さ 自己否定はどこからくるのか その3

1月10日  成人の日

今日成人の日を迎えられた皆様

手塩にかけて育てられたご両親様

おめでとうございます。

今の社会は2極化が進んでいます。

誰もが幸せになる新しい時代を作っていってくださいね。

 

さて

毎週金曜日13時から15時までは 仕事工房ポポロのオンライン居場所があります

 

一昨年 コロナ禍でAKIRAライブをオンラインでと考えたとき

ポポロの中川さんも 居場所に皆が集まることができないので

同じようにオンライン居場所ができないか考えていていたのです

そしてのZOOM居場所の計画が始まり、

今もメンバーも入れ替わりながら続いています

今思えば すごいシンクロでした

 

7日のZOOM居場所で中川さんから皆に問いかけがありました

ひきこもの女性が親が亡くなってから

生活が立ち行かなくなり相談に乗ろうとしても

「自分が悪いのだから」

と、それ以上何も話そうとはしないとのこと

皆にもそういう気持ちがあるのかと

 

S君が

「こういう自分にした親が悪い。親のせいだ。」

と自分は思っている。

でも、人と同じようにできない自分

仕事ができない自分

結婚できない自分

世間では当たり前と思われていることができない自分を

悪いと思ってしまうことはあるだろうと

そんなお話をしていました

 

(周囲が話をしていてよく聞き取れなかったので違う言葉だったと思いますが

趣旨としてはこんなことを話していたと思います)

 

確かにそうだなあと思います

息子も8年通信高校生をしていたり

司法試験も受けることができず5年間もフラフラしてましたが

それはそれで一応肩書がありました

できているできていないは別として

世間的には

「通信高校生」として学んでいる人

「司法試験を目指して」学んでいる人

で、通るわけです

だから そこまで自己否定はせずにすみます

 

でも、司法試験が完全にだめになってしまったとき

自分の所属というか

社会的地位というか

それが全くなくなり不安を感じたと言います

自分のことを何と言っていいのか全く肩書がないのです

「ひきこもる」ということはそういうリスクを背負うのです

そして、強い自己否定に繋がってしまう

 

息子は気持ちを切り替えて

今の自分の状況でできそうなことを探しました

それが「社会福祉士」でした

スクールソーシャルワーカーになりたいと

法律を勉強して少年問題を扱う弁護士になりたかったけれど

その勉強も役に立てることができる 無駄にはならない

大学卒の資格なので夜間で1年学べば単位を全てクリアして

国家試験を受けることができる と

 

気持ちを切り替えることができたのは

かなりそれまでに自己肯定感が高まって来ていたからでしょう

 

もともと 司法試験に向かえなかったのは

うつ病が再発してしまったから

学部の成績は良くても じっくり型

年下の彼女の方が息子よりも成績がいいし頭の回転が速い

仲間には二人とも司法試験も受かるのではないかと思われていても

息子は自分の試験に向かう弱点を知っていて自信が無かった

年下の彼女に先を越される恐怖もあった

司法試験に落ちたら何とかやってきた自分の人生ももうこれ以上ない

そんな自信の無さ 自己否定がうつ病を再発させたのです

 

こんなうつ病状態だから じっくり勉強などできるはずがない

ただバイトはできた

嫌なこと不安なこと心配なことをそのときは忘れて

バイトで自分の力を発揮することができていたから

自分の良さを認めてくれる大人たちに出会うことができたから

そして自己肯定感が高まっていったのです

その結果、司法試験に落ちたって 落ちる人の方が多い

恥ずかしいことではない

その人たちもそれぞれの人生を歩んでいる

落ちたって人生は終わりじゃないと思えるようになったのです

 

不登校特例校でバイトをさせてもらったとき

自分の体験を活かして生徒に接したとき

生徒が慕ってくれて 色々話もしてくれるようになった

自分も人に役立てることができると

自己肯定感がまた上がっていった

 

社会の中で自分を卑下して自己否定をするけれど

社会の中で認められて自己肯定感も高まる

人間は社会で暮らすものだから

社会の影響を受けるのは間違いない

でも社会で受けた傷は 社会で癒されるものだと思う

人に傷つけられたことは 人にしか治すことができないと思う

社会の中で成長させてもらえるものだと思う

 

やっぱり一人で思い悩んでいるより

一歩勇気を出して踏み出せば

自分の良さを認めてくれる人が必ず現れると思う

それぞれ違う良さをもっているのだから

今までは自分の良さを発揮できないこともあっただろうし

それを見つけてくれる人に出会わなかっただけだと思う

どうか、思い切って始めの一歩を踏み出してみてください

 

文章を打っている間に

今日自分が書きたいと思っていたことと全く違う内容になってしまった

次回 今日書きたかったことをまた書きます