ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

いろいろ整えられていた1日

2月3日 節分 

季節変わりの日、邪気を払う日

 

新しい世界の到来を待つ、予感する1日になりました。

 

今日は、息子が受ける国家試験の日

先週から、息子にエネルギーを送ったり

神門、耳ひっぱりをもう一度伝授したり

先輩からのメッセージ 「人間は寝る前に考えた人間になる」を送り

 「寝るときに試験問題をサクサク解いている自分、受かった自分をイメージして」

なんてつけ足したり

親としては、どうもこうも落ち着いていられません。

 

今朝は、プレッシャーになってもと思い我慢しようと思っていたのですが

そこへまた先輩からのメッセージ

「あなたの根源なる想いや希望をしっかりとあなた自身が受け取り、

  表明しましょう。」

「宇宙はあなたの中心から出る想い(波動)をキャッチしています。

   あなたの真なる願い・・・潜在意識の願いがかなう。」

これは、息子に知らせたいと、即ラインしてしまいました。

何とタイミングがいいのでしょう。整えられているのでしょう。

 

息子から、

「うむ。精神的には安定しとる。」

「やれると思うわ。」

と、返事がきた。

 

この返事を見てホッとした私。

励ますつもりが、反対に励まされていた。(笑)

 

 

その後、友だちから

先日、相談にのってあげたことのお礼と質問がきて

やりたいことができつつある自分に 嬉しくなりました。

 

 

そして、ポポロ自由市場にお手伝い

おいし~い焼き芋と

靴の販売のお手伝い。

寒いので、神門(耳ツボ)マッサージはどうしようかと迷いましたが

一応、看板は出しました。

焼き芋が焼き上がるのを待つ方にやってあげてもいいかなと。

 

その結果、

ご夫婦と、若い女性スタッフふたりにやってあげることができました。

神門はやっぱりすごいですよ。

「これだけで、変わるの?」

と、耳をひっぱったでけなのにと皆さんびっくりです。

また、自分でもできるところが神門の凄いところ。

ひっぱり方も伝授して、

「受験の娘にもやってあげよう。」

という、お言葉にまた嬉しくなりました。

そして、そのお母さんから、子育ての相談も受けてしまいました。

これも、整えられているなあ。

 

自由市場の後は、

新井理玖君の ことば絵に行きました。

理玖君は感性の素晴らしい青年で、目の前の人に天から受け取ったメーセージを書いて

くれるのです。(素敵な絵とともに)

www.facebook.com

 

今日は、多くの方が来ていらして、書いてもらえるか心配だったのですが、

バッチリOKでした。整えられています。

遅くなっても、夫は地域の集まりがあり、私は今日一日自由だったからです。

なんて、いつも自由にやらせてもらってます。(感謝)

 

4年前 2015年に書いてもらった ことば絵

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何か自分の経験でお役に立つ方法はないかなと思い始めていたころに

書いて頂いたことば絵。

あのころの自分にピッタリだったのです。

 

今回、自分の思いがはっきりした線になってきたので、また書いて欲しいなと思ったの

です。

そして、その結果

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「私は私」ぶれない私になることができたかな。

「空間を信じて、また歩みだし、どこもでも、楽しく広げよう。」

今、自分の思う道を歩み出しています。

楽しく、そしてどこまでいけるのかなあ、広げられるのかなあという感じの私です!

 

理玖君 ありがとう!

 

この会場で、友だちと打ち合わせていたわけでもないのに会うことができ、

これにも感謝でした。整えられています。

 

家に帰って、昨日主人が買ってきてくれた恵方巻きにかぶりつき、

何もしなくても夕飯を食べることができたのにも 感謝!

 

そして、ある方から、相談のラインが入り対応させて頂けたことにも 感謝!

 

理玖君に書いてもらった言葉のように、新しい世界に私が入っていけるように整えられ

ていた一日でした!

本当にありがとう。感謝です。

 

さて、息子はというと、

「難しかった。」

ケアレスミスもあったし。(>_<)」

と、いう報告

でも、

「なんとかなるさ(笑)」

そして、わたしも

「そっだねー。」

ポジティブにいきます。

 

棚ぼたの 大学進学

息子のひきこもり脱出記 NO.24

 

通信制高校で単位をとれるようになり

アルバイトもできるようになり

次に考えるのはその後の進路です。

 

単位が取れたとはいえ 通信制高校

アルバイトができるようになったとはいえ 短期で週2・3日

規則正しい生活ができていたわけではありません。

だから、ここで就職ができるかというと・・・です。

 

どんな仕事ならできるのか。

 

食べるのは好きで、私以上に工夫して料理をしようとするし、

料理人になる?

鉄道模型が好きで、作りたいという思いはあるし

模型会社に勤めて技術屋になる? 販売店に勤める?

歴史も好きで 鎧甲にも興味があるし、

職人になる?

 

しかし、好きというだけで

修行してそれを身につけたいという思いはどうやらない・・・

修行に耐えられる精神状態ではない・・・

耐えられるほど好きというわけでもない・・・

 

そんなとき、もちあがったのが 大学進学の話。

 

息子が卒業を迎えるころには、

少子化になっており、大学進学の絶対的人数が減っていたのです。

大学も学生を確保しなければならない。

そこで、通信制高校とはいえ付属なので

推薦入学の枠ができたのです。

担任から、「受けてみるか。」という話がきたのです。

そのころには、頑張ってスクーリングにも参加して

学校側からの受けも良かったようなのです。

 

進路を全く考えることができていなかった息子。

降ってわいた話に悪い気はしなかったようです。

子どもの頃から「大学」へも行くものと思っていたと思います。

彼女もW大学に入学していました。

(年上の彼女とは息子がいつまでもフラフラしているので喧嘩別れをして、次にできた

 年下の彼女です。)

だから、余計に自分も大学生になりたかったのでしょう。

私も、「附属高校」と聞いたとき あわよくば進学もと頭の片隅にあったのです。

学歴社会の考え方から抜け出ることができていないのです。

 

何部を受けるのか。息子から相談がありました。

息子は小学校時代から社会が得意でした。

息子の話としては

一番に興味があるのが

「史学」・・・これは、卒業したら「教師」くらいしか道がない。

       研究者にしても、基礎の学習ができていないので、どちらの道も難しい

次は

「法学」・・・こちらの方が 就職するにも道が色々ありそうかな。

息子が将来のことも考えていたので、息子の考えを尊重しました。

 

ということで、受験勉強もしないまま

簡単な試験だけで推薦枠で入学が決まったのです。

 

でも、これが今も息子の悩みの種です。

 

 

 

 

 

息子と通信制高校 その2

 

息子のひきこもり脱出記  No.23

 

無理なことを承知で、入学したB通信制高校

そのうちに少しずつできるようになるかなと、淡い期待があったことも事実。

高校生という肩書きがあるだけで、少し安心ができる。

「学歴」というものに影響されていた 私と息子

担任の先生は、不登校について造詣が深い方だったので

B高校に入学して良かったと思った。

しかし、学習できたわけでも スクーリングに行けたわけでもなかった。

そして、高校の単位は取れずに四年間が終わった。

 

その間、

アパートを替わって

少しずつフレンドスペースに通えるようになり

友人もできて、彼女もできて

  フレンドスペース外でもプライベートな付き合いができるようになった。

自動車免許をとり、自由に行きたいところへ動くことができるようになった。

フレンドスペースへ通い、カウンセリングを受けて一応ひきこもりからは脱出した。

しかも、不登校 ひきこもり経験を TMAの依頼で数回講演したり

KHJ全国ひきこもり親の会でも講演したりまでできるようになっていた。

 

確実に息子は前進はしていたので

単位が取れなかったことを 私も息子も気にすることはなかった。

 

それで、やめるか? 再挑戦するか?

やっぱり 高校は・・・という思いがあり

迷わず再挑戦を選んだ息子。

 

いろいろな行動ができるようになってきた息子は

レポートを提出できるようになり、スクーリングにも参加できるようになった。

卒業にこぎつけた。

しかも、頑張ったことを認められて

卒業式には「答辞」を述べることに選ばれたのです。

 

私は、どのように息子が頑張ったのか全く分からないのですが・・・

体育のレポートで、山登りのレポートやスポーツ観戦のレポート提出などがあったのを

手伝ったというか、一緒に行った記憶はあるのですが。

月1・2回はアパートへ手伝いに行ったものの

離れて住んでいたので息子が自分一人で頑張ったことは事実ですし

息子一人の力でやり遂げたことは事実です。

 

勿論、学校の先生方のお力や

  (息子の担任の先生は再入学後もずっと同じ方で、温かく見守って下さり

   息子も信頼していました。)

カウンセラーさんの見守り

友だちや彼女の力

などが 息子に力を与えてくれたと思います。

今更ながら、感謝です。ありがたいことです。

 

 

 

息子と通信制高校

息子のひきこもり脱出記  NO.22

 

高校に入学して一週間でまた学校へ行くことができなくなった息子

9月から、千葉のフリースペース(TMA フレンドスペース 当時)にお世話になり

ました。

そして、フレンドスペースで通信制高校を世話してくれることを知ったのです。

神奈川にあるT大学の付属通信制高校が東京にあったのです。

 

そのころの私は、高校について諦めることはできませんでした。せめて高校は出て欲し

いと思っていました。

息子も中3で不登校をしていても、高校の入試には行ったのですから

高校に未練はあると 私は思ったのです。

息子に 通信制高校(B高校)の話をすると

やはり行きたいということで 手続きをしました。

 

入学式には、二人で出席しました。

松戸から1時間かかりますが

地下鉄千代田線1本で通うことができるので、息子にとっては負担が少なかったです。

不登校などで中学の学習を十分できなかった子のためのコースもありました。

教材も、中学の復習からというもので 息子にも何とかなるかなと感じました。

 

CS放送を聞きながら、テキストでの勉強。

レポートの提出。

自分のペースでできるとはいえ、

初めての一人暮らしで、

今まで親に頼っていた、炊事、掃除洗濯などなど 全て自分でやらなければならない。

しかも、

強迫神経症で手洗いトイレ風呂に異常に時間がかかる

昼夜逆転生活、体調も整わない

そしてうつ病も発症。

フレンドスペースにも通うことができていない。

そんな息子が、制約のない場で簡単に学習できるはずはないのです。

 

私も勿論、すぐに学習ができると思っていませんでしたから、

「勉強しなさい。」などとは言いませんでした。

「ボチボチ、やっていけるといいねえ。」 ぐらいの話です。

 

一方、学習はできなくても

息子は、自分が「高校生である」ということに

少し心の安定感をもつことができたのです。

 

16歳という年で、

高校生に行くことがでず、ふらふら生きている自分を

どうしても否定してしまうからです。

 

それだけのことで、通信制高校は息子にとって良かったのです。

 

 

 

 

息子と鬱とADHD その薬

今、息子はうつ病の治療薬をADHDに合う物に変えて下さったことで、

心が穏やか、落ち着いて、冷静でいられるようです。

 

今までの息子なら

試験が近づいてきても、勉強が手に着かない、

失敗したらどうしよう、

先生も期待してくれているのに、

決まりかけた就職もできなくなる、等々

悪い方へ悪い方ヘと 思考回路がぐるぐる回って

不安でうつがひどくなる状態でした。

 

今は、特別勉強の量を増やしているわけではないのに

模擬試験の成績も上がっている

落ち着いて冷静に考えることができているわけです。

 

息子はADHDと言っても、

落ち着きがなくて日常生活に支障をきたすとか

対人関係が苦手で人とうまくいかないとか

人から ???と思われるとか

そんなことはなく、

 

苦手なことは様々あってもそれは誰にでもあることで

普通に生活できています。

 

だから、その傾向はあると思っていても

医者に相談するほどの必要は感じていませんでした。

ましてや、それに対応する薬のことも。

 

でも、息子の頭の中は「とっちらかっていた」そうです。

 

例えて言うと、パソコン

色々なウインドウを開いたまま

ワードも エクセルも メールボックスも ドキュメントも ピクチャーも

ゲームも webページもいくつも

すぐに、どこにでもアクセスできる状態

何か刺激があると、すぐにそのページを見にいく

落ち着きのない状態

でも、いざアクセスすると重くて動きが悪い 時間がかかる

肝心なことができない

 

そんな頭の中だったと息子は言ったのです。

息子はずっとそれが当たり前と思ってきたようです。

 

何かをしていても

少しの音、光、気配などが気になる

少しの刺激で気持ちが動いてしまう

余分なことに気がいってしまう

 

でも、合った薬を飲んでみたら

それがクリアになって 自分の頭がすっきりしたそうです。

今までは、常に頭に色々なものが溢れて

頭が疲れている状態だったことが分かったそうです。

 

そういう話を聞くと、合う薬があってありがたいと思います。

これで、息子は救われたと思います。

 

でも、反面 薬は一生飲んでいかなければならないのかと不安にもなります。

薬に代わるものはないのだろうか

耳ツボマッサージは α波は出してはくれるけれど・・・ノルアドレナリンは・・・

今後、どのようになっていくのか見守ることしかできません。

 

薬の副作用がでないように、薬にエネルギーを送ったり

「この世で生きにくい人」は今たくさんいて、

「その人たちにはお役目がある」というエネルギーの先生の言葉を信じ

息子にも何かお役目があるのかなと考えたり

私が 今できることは

そんなことで、いいのかなあ。

感謝の心で 暮らしたい

 

先日、友人の旦那様のご葬儀でした。

 

彼女が記した挨拶状に心を打たれました。

優しい感謝の言葉が綴られていました。

素敵なご夫婦だったのだなあと、改めて感じました。

 

いつも、彼女と家庭の話をしているとき、

ご家族を温かく見守っている旦那様の話に、羨ましいと感じていました。

 

私は、家族に感謝することができるのだろうか・・・

感謝しているのだろうか・・・

 

私を成長させてくれた息子には、感謝をしている。

 

けれど、夫には・・・

息子や私の苦しみを理解してくれない・・・と思ってきた。

 

結婚当初からの色々な出来事から、夫は自分の思いだけで進めて

私の思いを理解してくれようとしないと

背を向けてしまっていた私。

 

夫のせいにしたり

夫に求めたり

夫を責めたり

 私の思い(念)が今の自分の運命をつくってしまっていたのだなあと

改めて感じました。

 

側の心にとらわれるのではなく

自分の良心

「無心・無我・無為」

「回向返照」

で、感謝の心をもって暮らしたい。

 

そんなことを考えさせてもらいました。

 

半年ほど前、彼女が看病で疲れていたとき

ちょっと気分転換したい、新緑に癒されたいと言ったので、

旅行を計画しホッとした時間をもつことができました。

彼女が落ち着いたら

また、一緒に旅行をしたいなあと思いました。

 

そして、彼女に感謝の言葉を伝えたいです。

 

 

整えられているなあ

 

昨日1月20日(日)は、ポポロの自由市場とひきこもり家族会に参加の予定でした。

 

前日に参加の予定を伝えると、

「雨だったら自由市場は中止」という連絡が入りました。

 

朝、しとしとと雨が降っていました。

ああ、中止か。午後からポポロに行くかなと思ってのんびりしていたのですが・・・

 

弥勒様で、午前中に会があったことを思いだし、少し遅れましたがそちらに参加する

ことにしました。何かまた得るものがあるかなと。

 

今回、改めて心に残った言葉 考えたこと

「無心・無我・無為」

  余分な心がなく、とらわれない心、あるがままの自然体

「回向返照」

  外に求める心を内に返し向けて、自らの内なる智慧の光で、自己の仏性を照らせ

  つまり、他者と比較するのではなく、自分の可能性を信じて前向きに振り返ろう。

  人からの評価で心を乱し悩むことはばかげている。

仏教用語で何回も聞いている言葉だけれど、その場ではなるほどと思ってもなかなか自

分の心に落とし込むことができない。何度も聞いてやっと納得している自分です。

 

お話が聞けてよかったなとポポロに到着すると

「自由市場」の幕が・・・えーっ。あったの?

小雨だったので、焼き芋屋さんはできたようです。

嬉しいことに、

「焼き芋まだあるよ。今日のは特別美味しいお芋。食べる?」

「うん。買う、買う。今までいつも売り切れで食べられなかったから、嬉しい。」

と、購入。お芋は「紅はるかDX」 

やっと食べることができたお芋。とっても甘くてねっとりしていて美味しい!最高!

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食べかけで、家族会に参加しようと部屋に入ると、

「今日はお休みにした。」

と、中川さん。どうやら、お葬式が何件か入って・・・お忙しいようでした。

その亡くなった方のお一人が、私の知り合い。

ポポロに来なければ、知らないままでした。

私の元同僚で一緒に食事をしたり旅行したりする友だちの旦那さまだったのです。

彼女から、一週間ほど前に電話があり、そのときに入院中で今度は覚悟をしておいて欲

しいと医者に言われたと。

何と言葉をかけたらよいかも分かりませんでした。それから、少しでも回復にむかうよ

うにとエネルギーを送り続けていました。

そして、お通夜に出かけました。彼女は気丈に喪主を務めていました。

彼女が落ち着いたら、ゆっくりお話を聴き癒してあげられるといいなあと思って失礼し

てきました。

 

新しい出会いもありました。

地元の方ですが、名古屋で子育てを支援する会に参加されお世話をしている方です。

子どもさんが不登校になったころ、地元では支援団体や居場所を見つけることができず

名古屋で見つけた方です。

私も、千葉まで行っていて、今こうして地元のポポロを尋ねて支援のお手伝いをしよう

としていますが、共通する方に出会うことができました。

 

いろいろあった1日でしたが、

動いたことが、

すべて必要だった出来事と結びついているなあ、整えられているなあと。

感謝の1日でした。