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不登校 ひきこもりは 家庭の宝

落ち着かない 不登校 ひきこもり 原因は? NO.2

息子のひきこもり脱出記 No.2

 

 我が家の原因を書いて1ヶ月がたってしましましたが、もう少し付け加えたいと思います。

 今思えば、息子が自尊心を傷つけられている行為を見てきたのにそれに対して、「大丈夫だよ。あなたは大事な子だよ。」とメッセージを送ってあげることができなかったこと。また、息子が盛んに出していたSOSに気付かず十分対処することができなかったこと。悔やまれることがいろいろあります。

 

 我が家では、家族揃って食事ができるのは日曜日だけでした。普通なら楽しい一家団欒の場です。しかし、息子は日曜日の夕飯が一番いやだったと言います。

 それは、息子がこぼす度に夫がバカにする口調で「ニュートンの引力」の話を持ち出して上手く食べることができないことを非難していたのです。また、食べている最中に計算などの勉強に関わることを持ち出したのです。横で聞いている私もいやな気持ちになったくらいですから、言われている息子にしたら本当に傷ついたと思うのです。(息子は手先が不器用でしたから。)

 でも、私はそれを止めることができませんでした。私は息子の気持ちをそこまで考えることをしませんでしたし、「妻は夫に従うもの。」という考えの舅姑、夫の前では私は夫の言動を止めることができませんでした。食卓で喧嘩というのも嫌だったのです。

 

 忙しい私たち夫婦でしたが、私は年に1回くらいは旅行に行きたいと思いました。計画するのはいつも私でした。夫も日帰り旅行は計画してくれました。

 でも、それも息子は十分に楽しめていなかったようです。主人は「~ができたら」と条件をつけることが多かったのです。また、旅行の最中でも勉強の話をしたり息子の行動ににいろいろ嫌みを言ったりしていました。私や娘にもいろいろ言いましたので、1対3という雰囲気になってしまい、家族みんなで楽しむという感じではなかったのです。

 

 息子が小学校4年生の頃、夫は単身赴任しました。それが、夫の心配性をより加速させました。毎週帰ってきているのに。

 そのころ、息子がボーイスカウトの募金活動で言った言葉があります。隊長が「恵まれない子のために。」と話したときに、

「ここにも恵まれない子がいます。親に恵まれていません。」

私はそれを聞いて、ただ恥ずかしいと思いました。その私の様子を見てか息子は

「こっちの親はいいけど。」

と付け足しました。そのとき私は少しホッとしたのです。

結局私は自分のことだけを考えていたのです。その言葉を発した息子の心をしっかり受け止めることをしませんでした。

 また、部屋のなかで「火遊び」をして絨毯を少し焦がしたことがありました。息子は正直に言ってくれたのに、私は叩いてしまいました。何故分別できる年になっているのにそんな危ないことをするのかと。

 最近息子がその件について話してくれたのですが、「火」の持つ意味。「燃えて全てがなくる。」今、自分に起きているいやなことが「すべて無くなってしまえばいい。」と。「炎」を見てそう思っていたそうです。

そんな息子の「SOS」を私は見逃していたのです。ただ恐ろしいことをしたと。「どんな行動にも意味がある」ことをそのころは分かっていなかったのです。

 

 学校では落ち着かず行動も遅い子で持ち物の整理整頓も苦手でした。そのころ、軽度発達障害が少しずつ認知されてきたころでした。

 帰りが遅い息子を祖母が心配して迎えに行ったとき、担任にいろいろ躾がなっていないようなことを言われたそうです。祖母はそれを夫に話しました。夫はそれを聞いて焦ったのでしょうね。夫も子どものころそういった傾向があったようです。祖母がやはり担任に言われ、夫に「恥ずかしいからもっとしっかりしなさい。」と泣いて訴えたそうです。夫は母親を心配させてはいけないと、その後心を入れ替えたそうです。ですから、私にもそうしろといったのです。ですが私は、子どもにそんな気を遣わせるのはおかしいと思いしませんでした。夫と私の子育てに対する考え方は全く違っていたのです。

 その後、半年ほど経ち、その担任の先生は息子の良さもみて下さり、「黒柳徹子さんが通ったような学校があったらこの子は伸びるでしょうね。長い目でみていきましょう。」と言って下さいました。私が思っていたように息子はちょっと発達障害的なのだと思いました。グレイゾーンなのですよね。でも、私はそれを家族に言えませんでした。私もまだまだそれに対して不勉強でしたし、家族はそれを理解できずますますスパルタになるのではと恐れたからです。

 考えてみて言った方が良かったのかどうかは、今も分かりません。

 また、軽度発達障害なのかも、グレイゾーンなのかも分かりません。子どもは親に守られていなけれいきていけない存在です。十分に愛情で守られていなければ不安で発達障害的な症状になることが今は知られています。息子はそういう意味で落ちつかなかったのかもしれません。子どもは生まれたときは「真っ白な存在」で(生まれながらにしてもっている気性はありますが)、親に育てられてその性格や行動が確立してくると思うのです。

 

 高学年になり、その担任は息子のことを「なっていない。」と言い、学級委員を解任したり、特別席に息子を座らせたようです。参観日の日もその席のままだったようです。その担任は、息子だけでなく、他の子にも同様なことをしていたいようです。

今、話を聴くとそのことにもかなり傷ついていたそうです。でも、他にもそういう子がいると聞いていたので、私は息子の傷をそこまで考えませんでした。息子も自分の惨めさをそこまで親に心配させまいと思っていたのかもしれません。

 

 中学になると、学校の「連帯責任」の考え方や生徒会と言っても教師側への忖度で動いている級友たちの活動に疑問を感じ、私にそれを訴えてきました。確かに息子の言う通りだと思いましたが、話を聴いてあげることはできてもそれ以上のことはできませんでした。

 また、夫のスパルタ教育がますます激しくなりました。息子が初めて夫に反抗しました。私はフォローしていきましたが、息子の心まで救うことはできませんでした。

 私の行動の基になっていたのは「夫婦は同一歩調で子どもを育てることが大切」という神話でした。私は裏に回って息子をフォローすることに徹していたのですが、私の言っていたことは息子の心に届いていなかったのです。息子が落ち着いてきたころ、その話をしたとき、

「お母さんそんなこと言ってくれてたの。俺、全然覚えてない。」

「お母さんも親父と同じだと思っていた。」

と、言ったのです。それだけ男の言葉は強いもので、私の言葉は息子の心に響いていなかったのです。もっとしっかり私の思いを話して息子を守ってあげるべきでした。

「夫婦が同一歩調で。」というのは「正しい考え方」のときだけなのですよね。

 

 今、考えれば頼りない親です。後悔することが沢山あります。でも、私も初めて親となって子育てをしていたわけで、しかたないことだったのかもしれません。

 皆さんはどうですか?

 皆さんに経験者としてお願いしたいことは、「子どもの行動には必ず原因がある。その子の思いがある。」ということです。危険なことは叱らなければなりませんが、その後、どうしてそんな行動をしたかを聞いてあげて欲しいし、「大切な子だから叱ったんだよ。大好きだよ。」と抱きしめてあげて欲しいと思います。

 親に愛されていると思えば、強くなれますし正しく育つと思います。