昨日は勤め先の学校の運動会で疲れました。特に何をするという役割はないのですが、
細々とした子どもたちへの対応と、30度近くの暑さの中で過ごすというのは、やはり疲
れます。近頃は熱中症対策もありテントの下で子どもたちも応援できるので、少しは良
いのですけどね。
ということで、今日は1日疲れをとろうとのんびり過ごしました。
午前10時過ぎにちょっとテレビをつけてみると、NHKで樹木希林さんのファミリーヒ
ストリーがアンコール放送されていました。
希林さんのお父さんの実家は、徳川家と関係のあった家柄。
お母さんの実家は長州藩野武士で、明治維新後皇居建築に関係していた家柄。
母方のお祖父さんの関係で山口県で生まれた母清子さんは、戦前・戦後を通して広島・
京都・東京・横浜と移り住み、苦労を重ねたけれど、意欲的にカフェやアパート経営、
仕立屋、料理店などを次々と起こした凄い女性だった。
父辰治さん元警察官。結婚した後は仕事をせず、趣味の琵琶に没頭していたそうです。
それについて、希林さんの妹昌子さんはお父さんのことを
「母がとことん惚れ込んだご亭主だったんじゃないでしょうかね」と言い、そうした暮らしぶりでありながらも、人柄は大変優しく、後に希林さんの異父兄姉が現れた際にも、それを快く受け入れ、我が子のように家へと招き入れたほどの包容力もある人物。逆に、そうした夫の存在によって仕事に専念できた母・清子さんは、いつでも一家の大黒柱として家を支えた人生であったと言われました。
また、ご夫婦のことを
「女は土台ですよね。で土台が弱い家はいくら男が強くても崩壊しますからね。それは私は女は強くなきゃいけないし...母は強かったけれどもちゃんと支えるという作業をできる強さを持ってたというところにもうほんとに尊敬しますね」とコメント。
これを聞いた希林さんもまた、「『女偏』に『台』って書いて『始める』っていう...『始まる』という字なんですよと言われました。
そして、清子さんが生活を支え、趣味の琵琶に没頭できたことで、後に辰治さんはプロの琵琶奏者となったそうです。
(妹昌子さんはお父さんの後を継いで、琵琶奏者だそうです。)
こんな夫婦のありかたも・支え合い方もあるのですよね。
だから、内田裕也さんとの関係もあるのでしょうね。
これを見ていて、家庭での、女・妻・母親としての自分を考えました。
母親としての私は、強かったのではないかと思います。
では、妻としてはどうだったのだろう。
夫に不満があったので(夫も私に対して不満をもっていたでしょう。)適当に合わせて
いました。夫は夫、私は私と。支え合ってきたかというと・・・・・
「自分の掌で夫を転がす」という話も聞いたことがありますが、そんなに度量は広くな
いし。
今後、どんなふうに夫と過ごすのか・・・分かりませんね。
偶然のなのかもしれませんが、私がTV(追悼番組も多いのですが)を見ると、希林さ
んからのメッセージをいただくことができ、ありがたく思っています。