ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

息子と通信制高校 その2

 

息子のひきこもり脱出記  No.23

 

無理なことを承知で、入学したB通信制高校

そのうちに少しずつできるようになるかなと、淡い期待があったことも事実。

高校生という肩書きがあるだけで、少し安心ができる。

「学歴」というものに影響されていた 私と息子

担任の先生は、不登校について造詣が深い方だったので

B高校に入学して良かったと思った。

しかし、学習できたわけでも スクーリングに行けたわけでもなかった。

そして、高校の単位は取れずに四年間が終わった。

 

その間、

アパートを替わって

少しずつフレンドスペースに通えるようになり

友人もできて、彼女もできて

  フレンドスペース外でもプライベートな付き合いができるようになった。

自動車免許をとり、自由に行きたいところへ動くことができるようになった。

フレンドスペースへ通い、カウンセリングを受けて一応ひきこもりからは脱出した。

しかも、不登校 ひきこもり経験を TMAの依頼で数回講演したり

KHJ全国ひきこもり親の会でも講演したりまでできるようになっていた。

 

確実に息子は前進はしていたので

単位が取れなかったことを 私も息子も気にすることはなかった。

 

それで、やめるか? 再挑戦するか?

やっぱり 高校は・・・という思いがあり

迷わず再挑戦を選んだ息子。

 

いろいろな行動ができるようになってきた息子は

レポートを提出できるようになり、スクーリングにも参加できるようになった。

卒業にこぎつけた。

しかも、頑張ったことを認められて

卒業式には「答辞」を述べることに選ばれたのです。

 

私は、どのように息子が頑張ったのか全く分からないのですが・・・

体育のレポートで、山登りのレポートやスポーツ観戦のレポート提出などがあったのを

手伝ったというか、一緒に行った記憶はあるのですが。

月1・2回はアパートへ手伝いに行ったものの

離れて住んでいたので息子が自分一人で頑張ったことは事実ですし

息子一人の力でやり遂げたことは事実です。

 

勿論、学校の先生方のお力や

  (息子の担任の先生は再入学後もずっと同じ方で、温かく見守って下さり

   息子も信頼していました。)

カウンセラーさんの見守り

友だちや彼女の力

などが 息子に力を与えてくれたと思います。

今更ながら、感謝です。ありがたいことです。