ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

「いじめ」 本当に分かっているのだろうか

25日(土) 子どもの人権ネットワーク・岐阜主催の講演会

「いじめ と 校則」~キーワードは「多様性」~に参加してきました。

 

講師は 大河内祥晴さん 

皆さんもご存じでしょうが 

25年にいじめによりこの世を去った大河内清輝君のお父さんです。

それ以来、いじめ被害に悩みを抱えている全国の子どもたちと交流を続け

講演会活動など いじめ問題に取り組んでいらっしゃいます。

岐阜市中学校におけるいじめによる自死が疑われる事案の

三者委員会のお一人でもありました。

ですから、お話を聴きたいと参加しました。

狭い会場はいっぱいの方でした。が、見慣れた顔が多かったのです。

チラシには「生徒のみなさん 保護者の方 学校の先生、ぜひ参加してください。」と

あったのですが 関心のある方は・・・何か残念な思いでした。

 

実は 大河内さんは愛知県立大学でも毎年講演をされ、

そのとき私の息子も「ひきこもり」で講話をさせていただいていて 

息子とは知り合いなのです。

私には皆さんとは違う特別な思いもあったのですけどね。

 

 

さて、大河内さんが最初に言われたことが

「いじめ」とは何だろう 本当に分かっているのだろうか

 

そうですよね。

「いじめ」絶対にやってはいけないこと。

どんな理由があろうと「いじめ」それは言い訳であって

人の尊厳を傷つけることは 許されることではない。

皆 知っている 分かっていると思うのです。

 

でも、「いじめ」はなくならない。

やっぱり 本当に分かっていないのですよね。

こうやって、ブログを書いている私も

「いじめ」にはあっていない。

「私も 分かっているのだろうか?」と考えさせられました。

 

「いじめ」られた 辛さ

「死ぬ。」ことは怖いはずなのに その「死」を選んでしまうほどの「辛さ」

どこにも居場所がなく 「死」だけが居場所になってしまう

私は本当に分かっているのだろうかと 考えさせられました。

大河内さんが読まれたいじめにあっている子どもたちからの手紙

涙が出てきました。

 

それを 子どもたちの心にどのように落とし込んでいったらよいのだろう

考えさせられました。

「いじめ」はいけない 

そんな軽い言葉では  それだけでは 本当には届かない。

 

人には どうしても 

好き嫌い

合う合わない

人より優位でいたい 

などなど 理屈ではない感情があります

それを 乗り越える広い心がなくてはなりません

 

今の学級 学校では 皆が同じように生活することを求められます

校則でしばることもあります

そこでは 上手く合わせることができない子や 疑問を感じる子も出てきます

受験や部活なども 頑張らなくてはいけません

ストレスが溜まります

子どもたちの心には ゆとりがなくなります

 

こんなとき 他人を思いやる 温かい心がもてるのでしょうか

自分の感情を抑える 広い心をもてるのでしょうか

人は 満ち足りて幸福なとき

他人の幸せも考えることができる余裕がもてるのです

 

大人の世界でも 世界中で この歴史上ずっとずっと

民族間 宗教 考え方の違い などなど 様々な場面で

差別があり 「いじめ」のようなものがあり

自国中心で 世界のことを考えず 

それが虐殺になったり 戦争になったり

そんな大きいことではなくても 大人の社会でも「いじめ」は多い

人間が集団で暮らしている以上 避けられないことなのだろうか

 

そんな大人の世界を観ている子どもたちに

お互いを思いやろうとか

互いの良さを認め合おうとか

何か 絵空事のように思う

 

「いじめ」今回のお話を聴いて

 大人社会の認識を考えさせられたました

 大人の取り組みの在り方を考えさせられました。