ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

息子の大学生活 その2

 

息子のひきこもり脱出記 NO.26

 

不登校以来、生活パターンが崩れていた息子でしたが

大学へは通うことができました。

 

法律については元々興味があったので楽しく勉強できたようです。

講義は 前列の中央に陣取って受けていたようです。

成績も良く、給付奨学金も得ることができました。

 

しかし、中学・高校が不登校だったため、基礎学力(数学・英語)は全くだめ。

ぎりぎりで単位をとっていました。

これが 最近判明したADHDによるものなのかもしれません。

興味のあるものには とことん頑張れるけれど

興味のないものには 向き合うことができない。

それとも、子どもの頃に受けたいやな思い出がまだよぎるのでしょうか。

自分で、数学や英語をもっと学習しようという気にはなれないのですね。

 

大学は 年に1度出張をして 親に説明会を開いていました。

説明会には参加しませんでしたが、1年次には午後からの個別懇談に出席しました。

こんな制度が大学にもあるんだ・・・と少子化になると大学も必死なのかななんて思い

ながら

今回は丁度、ゼミの教授が地元担当だから出席して欲しいと息子から連絡が来たので

す。教授からも言われていたようです。

 

懇談では

法律に関して、センスがあるので もっと勉強に対してハッパをかけたいと思うがと言

われました。(通信制の付属から来ていることはもちろんご存じなので)

それに対し、不登校の原因が学習へのプレッシャーが大きかったことをお話しし、ハッ

パはかけないで欲しいとお願いしてきました。

 

大学なのにこんな制度があるのか?と思っていた私ですが、息子にとってこの制度は助

かりました。

しかも、今回は運良くゼミの教授が担当だったから 本当に良かったです。

息子に関わりのない方が担当だったら、こんな話はできなかったのです。

不登校 ひきこもりをしても 何か守られていると私は感じていました。

 

お陰様で、その後も 息子は自分のペースで学ぶことができ、学生自習室の長やサーク

ルの幹部も務めることもできました。

友だちもでき、旅行なども一緒に行っていました。

    (今でも付き合いが続いています。)

ここでも、彼女ができました。

 

また、好きだった鉄道模型でも遊ぶ余裕も 息子に生まれていました。

 

この頃が、息子が少し遅い青春を一番楽しむことができたのではないかと思います。

そして、ひきこもりから脱出できたと思っていたのです。