ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

義母の死 そして 残してくれたもの

 

2月24日(日)朝6時に 義母が暮れから入院していた病院からの電話。

血圧が下がり、血中の酸素濃度も低い、心拍数も安定しない。

昇圧剤を入れていただいて、少しもちなおしはしたものの・・・

医者はいつとは言われないが、いつ逝かれてもおかしくない状態には変わりない。

 

そして、翌25日朝、通勤途中に病院へ寄ると、

受話器を持った看護師さんに呼び止められました。

「今、お宅に電話をかけていた。」と。

そして、私一人が義母の最期を看取りました。

 

義母は75歳のころ心臓にペースメーカーを入れたものの

他に病気になることもなく、畑仕事をし、趣味を楽しみ、ずっとお元気でした。

でも、少しずつ体力もなくなり、認知症の症状もでてきたかなと、

私が、勤めて昼間はお世話ができないので

デイサービスに通っていただいたのが もう92歳になってから。

 

96歳で認知の症状が進んできたころ、グループホームにお世話になりました。

かねてから、ケアマネージャーさんに入所の予約を勧められていたので予約してあった

のですが、丁度空きができたのです。

一昨年の暮れ、大腿骨を骨折した後は、措置替えで特養にお世話になることができました。

 

私は、義母の介護の苦労をほとんどすることなく、働くことができました。

幸せだったと思います。

 

義母は腰に褥瘡ができ、暮れから3週間ほどという予定で入院していたのです。

しかし、褥瘡はよくならず、食べものも受けつけなくなり・・・。

褥瘡ができた時点で、体力も、免疫力も、治癒力も 落ちてきていたのでしょうね。

99歳という年齢を考えれば、致し方ないこと。

6月で100歳を迎えられるはずでした。

 

10年前、90歳を迎えたころは、「100歳まで余裕かな。」なんて家族は思ってい

した。大台を超えることはなかなか難しいものですね。

 

葬儀も滞りなく27日に営ませて頂きました。

 

 

今、義母とのことを振り返ってみて

義母に教えてもらったこと・・・

 

人生はいろいろ と、いうことでしょうか。

 

私は、結構裕福な家庭で、何不自由なく幸せに暮らしてきました。

私の両親は 横浜の都会出身。街中で商店を営む家でした。学歴もありました。

サラリーマンの父は転勤もありました。

愛知県の田舎(父の会社の工場の社宅)で生まれ、

東京(社宅)で小学生時代を過ごした私。

その後、岐阜(これも社宅)へ来た私たち家族。

そのまま家を建てて岐阜に住むことになりました。

 

そして、結婚して、自分が生きてきた世界とは全く違う世界を知ることになりました。

 

なんと 高等小学校卒業後「奉公」

江戸時代、明治時代の話だと思っていた私。

義父も 義母も 苦労をしてきた人でした。

 

職人の腕一つで、今の家を築き上げた義父。それを支えてきた義母。

親戚の人に、地域の人に、負けないようにバカにされないようにと頑張って生きてきた

ようです。

社交的で 世話好きで よく働く義母でした。

 

優しいところもありましたが、

育った環境・生活習慣が違うのでぶつかることもありました。

子育てでは意見がちがうところも多かったです。

でも、世話をして頂いている嫁としては、遠慮してしまうところが多かったです。

 

 

 

そんな中でおきた 息子の不登校

私は、仕事に行かなければならない。

一日中 息子をみていた義母は どんな思いだったのだろう。

きっと 辛い気持ちだったのだろうと思うけれど、

それを口にされたことはありませんでした。

私を責めることはありませんでした。

私がいろいろ息子に対して動いていたことに、口を挟むことはありませんでした。

ただ、夫と私の意見が違うと、夫の味方をしていたことは確かでした。

そこまで考えはないのですが、ただ古い考え方で。

 

息子が 完全にひきこもりから脱出して独り立ちをしようとしている今。

義母はそれをあと一月なのに見届けることなく逝ってしまったけれど、

そうなることが分かって、安心して逝かれたのかもしれない。

天から見届けているのかなあ。魂が。

 

私は、息子のことでいろいろ大変なことがあったけれど、

義母はそれを分かっていて、介護の苦労はかけないと思ってくれたのでしょうか。

神様は、どんなことも見守って下さって、そうして下さったのかなあとも思います。

 

義母は 孫育てから離れて、いろいろ趣味を楽しんでいたけれど、

今、私も 同じようにいろいろ楽しんでいます。

義母の生き方に、教えてもらったこともあるし

反面教師としているところもあります。

人の生き方をみて、自分がそれをどう思うか、どう取り入れるか、

自分自身の心のありようかなと感じています。