ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

不登校 どうしたらいい? いろいろなところを尋ね回って 辿り着いたフレンドスペース

息子のひきこもり脱出記 No.8

 

息子が不登校になったとき、家の近所ではまだ今のように支援施設はありませんでし

た。全国的には有名な引き出し施設がいくつかあり、寮に入って生活を立て直すような

取り組みをしていました。その中には、暴力事件もおきたところがあり、脱走や死亡な

どの話も聞いていました。

 

どうしたら、息子が元のように元気に、そして学校へ行くようになるのだろうかと考え

ても、そのときの私は何も分かりませんでした。自分たち家族だけでは解決の方法が分

かりませんでした。

 

 

そして、いろいろなところを回りました。

 

まずは、かかりつけの医者へ行き、「自律神経失調症」と診断されましたが、だからと

いってどうしようもない。息子は病名がついたことで、「休んでもいい」という理由は

ついて少しホッとしたようです。

 

国立の子ども病院へいこうかと思いましたが、予約がいっぱいでなかなか受診できそう

にない(不登校が増えてきた時期でした。)ので止めました。

 

市民病院の精神科医心療内科を開業する、良い先生だと主人が親戚の方に聞き、受診

しましたが、息子の悩みを分かってもらえず、息子は怒ってその後は受診しませんでし

た。私たち親だけがカウンセリングを受けに少し通いましたが、まあ一般的な話で参考

になった話は覚えていません。

 

主人は、他の心療内科にも行って話を聞いていたようです。

 

私は、勤め先で紹介して貰った元校長先生にお会いして、息子もそこの塾に通い始めま

した。話を聞いてもらったり勉強を教えてもらったり、自分のペースで過ごせるので、

息子は通いました。

 

また、近所のお寺の息子さんが元不登校だったことを主人が聞きつけ、そのお寺にも行

きました。息子さんが釣りなどに誘って外へ出してくれたことは、息子にとって良かっ

たことです。

 

主人は他にも、会社の方に紹介されて、不思議な力をもつ方で、息子の体調をよくして

もらえると、そこも尋ねました。息子は、会社の社長さんと、主人がいないところで話

をしたとき、自分を認めてくれる言葉が有り、そこへ行くのは嫌がりませんでした。

 

こうやって振り返ると、主人なりにいろいろ考えてはいたようです。

でも、この頃は 息子本人を直そうと思っていたわけですから、どれも上手くいきませ

でした。

しかし、よく振り返ってみれば、息子の思いを受け止めてくれるところ、息子のペース

を大切にしてくれるところは息子も心を許していたことが分かります。

 

 

そして、半年なんてあっという間です。

中学は自動的に卒業ですが、進路はどうする?高校はどうする?

 

一応不登校を分かってもらった上で、私立を受験。面接で好印象だったようで、合格。

息子は高校になったら、心機一新頑張ろうと思ったようです。

しかし、勉強は遅れているので、私は皆についていけるのか心配でした。

でも、受かったことで、息子はそれを考えず、春休みに出された宿題もほとんど手を付

けていませんでした。

 

そして、高校生活が始まり、自分が皆からかなり遅れていることが分かった息子は、一

週間でまた行けなくなりました。

学校側も、担任も不登校のことは分かっていましたので、じっくり見てくださることに

なっていて、こちらも、「焦らなくていいよ。しかたないよ。ずっと休んでいたのだか

ら。少しずつ皆に追いついていけばいいよ。」と言っていたのですが、息子本人が「自

分はなさけない。ダメだ。」と思ってしまったようです。

 

強迫神経症はますます強くなり、

それを理解できない主人との関係もますます悪くなっていきました。

 

そんなある日、実母が朝日新聞で紹介されていた講演会の記事を教えてくれました。

それが、フレンドスペース 富田富士也先生の 名古屋講演

フレンドスペースとの長~いお付き合いの始まりでした。