ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

謝るということ 許すということ

このごろ 私の心はすっきりしています♡

それは、夫が謝ってくれたから。

 

先月、実父の3回忌がありました。

 

 それに向けて準備をしていたとき、私の心の中に納めてていたモヤモヤがまたムクムクと出てきたのです。何かことあるときに出て来る私のモヤモヤ。

 

 

 夫と大喧嘩して(実父の葬儀のとき、私にとってはあり得ない実母に対しての夫の振る舞い、私への暴言)家を出ていました。その夫の考えの基が、息子を不登校、ひきこもりに追い込んだわけで、息子も激怒していました。

 

 私は何度か夫にそれを話し、夫は納得はできていなかったのですが、私の怒りに謝ってはくれました。でも、理解はしていないのですから許す気にはなれませんでした。

 

 実母や姉は、夫婦関係が良かった 良いので、私がいつまでも許せないことが分からないようでした。妹は離婚しているからか「その性格は直らないと思うよ。」と私の気持ちを理解してくれました。

 でも、このままでいいのか、と思い悩む日々でした。

ある方に夫が相談し、私に「いつまでも引きずっていてはだめ。」夫には「ご主人も反省して下さい。」と言って下さったので、1年半の別居生活から戻りました。息子や娘は本当にいいのかと反対の立場でした。

 

 戻ったとき、私はこれは「実父が与えてくれたチャンスなのだ」と捉え、家庭・家族を立て直そうと思いました。

 

 夫が何故あれほどの言動をしたのか、私は夫の原点を考え、夫には「自分見つめ」をお願いしました。

 見えてきたのは、夫が育った家庭環境、社会環境。

 夫が息子にとった言動、実父の葬儀にたいしての言動の元はここにあったのだと改めて思いました。それは、夫も息子も納得。

 

 でも、これから先、夫がどのような心をもって行動していくか、全く見えて来ない。考えようともしていない。こうだったんだから、仕方ないだろうみたいな感じにしかとれない。

 ですから、息子は夫を睨みつけずっと口をきかない状態。夫がする日常会話に対して物をぶつける。

 わたしは、「いつまでもこだわってはいけない。夫だって悪いわけではない。夫がこうなったのも育った環境のせいなんだ。夫だって被害者なのだ。」と思おうとしました。でも、許せない私がいる。

 今は、こういう私がいるんだと、自分をみつめてきました。

 

 そして、4月。家に戻って1年。私のモヤモヤが蘇りました。

夫の今の思いと私の思いをお互いに話したのですが、やっぱり分かってない!

夫はあのときとった自分の言動を「しかたなかった。」で済まそうとしている。

自分の言動を「正当化しよう。」としている。

 私は、また激怒して、家庭内別居状態!

 

 そして、3回忌が近づいた6月末、再びのモヤモヤで夫に話をしました。

3回忌を期に、しっかり分かってもらうのか、諦めて再び別居するかでした。

 

 以前から夫が言っていたことですが、「あのときは不意なこと(実母がとった行動に私たち姉妹も同意した)でびっくりして、慌ててあんな言動をとった。本音ではない。」

 しかし、私に言わせれば「不意だったからこそ、本音が出た。じっくり考えていたら、あんな人を傷つけるような言動は普通はできない。あんたは、自分を誤魔化している。」

 

 このやりとりは、何回したでしょうか。いつもだったら、これで終わってしまっていたのです。そして残る怒りとモヤモヤ。

 

 でも、今回は、「あれが本音だったんだなあ。世間体を気にしていたんだなあ。俺の考えで動くのが当然と思っていたのだなあ。」と認めてくれたのです。

 

 そして、「私に言ったひどい言葉をきちんと謝って。すごく傷ついたんだから。」と言うと。謝ってくれたのです

 

 一気に私の心の モヤモヤが消えて 心がすっきり晴れるのを感じました。

私の気持ちを分かってくれて、自分の気持ちに向き合ってくれて あ・り・が・と・う。

 

 夫婦間の修復はできました。しかし、我が家にはまだ大きな問題があります。息子と夫の関係。

 夫には、そのことはお願いしています。夫にとって私との関係以上に大きなことです。でも、親子、血が繋がっているのです。逃げないで欲しい、頑張って欲しいのです。

 

 「人を許す、こだわりを捨てる」ということ、それは「相手が自分の非を正しく認め、謝ってくれたとき」なのだなあと思います。「相手が非を認めていないのに、許すことができる」のはよほどの聖人だと思います。私は、凡人ですから。