ありのままの あなたで

不登校 ひきこもりは 家庭の宝

自分を 整えていこう

12月に入り一気に寒くなってきましたね。

 

 私は11月30日(土)と12月1日(日)の二日間、岐阜各務原で開かれた 神門メソッ

ト 自律神経調律師基礎講座・養成講座に参加してきました。

 昨年 4月に講座があり そのときに受けて自律神経調律師になりました。

今回は再受講で復習になります。

この講座は普段は東京でしか受けることができない。

いつもお忙しい 飯島敬一先生が わざわざ岐阜の地に来て下さる。

この機会を逃したら いつ受けることができるのか。

これは絶対に受けなければならないと参加しました。 

 

もともと、受けたきっかけは 

不登校やひきこもりは ストレス社会で自律神経を

やられてしまったことで起きることが多い。

息子もそうでした。自律神経失調症。そして、強迫神経症うつ病

だから,「自律神経を自分で整えることができる」と聞いて、

伝えていくことができたらと、資格をとったのです。

 

飯島先生はとっても熱い思いをおもちです。

ここ60年で科学が大きく前進し大きく変わった世界

便利さとともに私たちが失ってきたものも大きい。

ストレスフルな社会

電磁波が飛び交っている社会

壊れかかっている地球

人間もおかしくならないわけがありません。

 

昭和生まれの私たちは あと何十年も生きるわけでもないのでいいですが 

でも、平成・令和生まれの若者や子ども、赤ちゃんは 

この社会・地球で生きなければならない。

発展してきた社会を後戻りすることはできない

IT社会で生きていくことが当然な世界

 

昭和生まれの私たちができることは 守る方法を伝えていくこと

神門を引っ張て自律神経を整える

自分の体は自分で調整して 自分でメンテナンスして

自分自身で守る方法があるということを

 

自律神経は 自分自身の司令塔で

全身の血管や内臓などを無意識に調整している神経で

交感神経と副交感神経がやじろべえのようにバランスをとっていて

そのバランスが崩れると 体の不調が現れる

 

耳には全身のツボがあって

「神門」というツボを刺激すると 自律神経を調整することができる。

だれにでも簡単にできて 効果もすぐわかる

だから、それを伝えていきたい。

 

また、自律神経調整して 自分を整えることができると

他の人にも良い影響を与えることができる。

歩くパワースポットになれるのです。

 

地球には磁場があることは 皆さんご存じでしょう。

地球上の私たちにも 同じように磁場(トーラス体)があります。

自分は 肉体だけでなく そのトーラス体を含めた全体が自分なのです。

だから 自分を整えるということは トーラス体も整うということ

そして、自分の周りにいる人も物も整うということ

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だから、自律神経調律師として 自律神経の整え方を伝えていこう

そして 自分を常に整えて 周りの人たちに 良い影響を与えていけるようにしたい

 

shinmon-m.jp

 

奈良 いいなあ

友だちに誘われて 22・23日に奈良へ行ってきました。

奈良公園には 何度か行ったことはあるのですが、今回は未体験の奈良!

 

いつもは 彼女との旅は私が計画するのですが

今回は 奈良で彼女の趣味のオカリナコンサートがあり、

その足で奈良か京都へ行こうということになりました。

 

わざわざ奈良までコンサートを聴きにいくなんて すごいなあ 

いつからそんなに熱心になったのかなと思いながら

私も音楽は好きなだし、この秋、旅行に行っていないし。

と、行くことに。

 

行きの新幹線「こだま」のなかで

2日目にどこへ行こうかと相談

いつもと違うところへ行きたいと

奈良の紅葉スポットを調べておいて 

室生寺」と「長谷寺」を 彼女に提案

彼女が持っていたパンフレットから「橿原神社」も候補に

でも、位置関係まで調べる間もなく 京都に到着。

JR奈良線で奈良まで。

 

さて、コンサートは 2時から やまと郡山城ホールで

奈良からは近鉄で郡山へ

 

オカリナの澄んだ それでいて 素朴で温かみもある音色にうっとり

クラシック音楽とは少し違った気軽さと

手軽に楽しめるけれど 奥深さもあるなあ なんて思いながら

すてきな2時間を過ごしました。

オカリナもいいなあ

彼女がハマったわけも分かる気がしたのです。

 

近鉄郡山駅に戻ると

橿原神宮は同じ路線だったことが分かり 

二人で「行きたい💛」

でも、もう4時過ぎ 閉門時間に間に合わずあきらめ

 

近鉄奈良駅に戻って 観光案内所に行き

3か所の行き方を尋ねると

バッチリ 3か所とも近かったのです。

「これなら回れそう💛」

 

ホテルお勧めの 奈良素材が味わえる

「奈良めし板焚屋」で夕飯

少し飲んで たくさんいただきました。

美味しかった 満足 お腹いっぱい!

 

ホテルに戻って

案内所のお姉さんに教えていただいたルートと

乗換案内とにらめっこ

3か所回るのは忙しいかな 帰りが遅くなるかなと

お寺2か所より 神社もあった方がいいかなと

室生寺」「橿原神宮」に決めて就寝

 

2日目 いよいよ紅葉の奈良観光

 

JR奈良駅を予定していたよりも1本前の電車に乗ることができ

そして乗換もスムースにいき 最後はバスで「室生寺」に到着

山なので 期待していたように紅葉がきれい

ひなびた 落ち着いた 清楚なお寺によく映えていました。

あまり大きな規模でなく 派手さもないのは 「女人高野」だからでしょうか。

 

仁王門前で御朱印をいただいたのですが、

何種類もあるのですね。

迷って 灌頂堂「本堂」別名 悉地院の御朱印を頂きました。

1番に書いてあった本堂の御朱印なので。

そして、「紅葉祭り」特別の御朱印も頂きました。

 

本堂へ上がって お参りをし

ここでは ご本尊「如意輪観音」の御朱印も頂けました。

あと、奥の院でも御朱印が頂けるそうです。

二人とも 足には自信がないので 五重塔までで引き返しましたけど。

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ここの名物は「焼き草餅」のようで お土産に購入

ヨモギ入りの大判焼きが美味しそうで 食べ歩きしてしまいました。

これも もちもちで美味しかったです。

 

予定より早く「室生寺」を参拝できたので

「これなら 長谷寺も行ける?」

と、二人とも思って

この時期の土・日祝日のみに運行している

長谷寺」⇔「室生寺」直通バスで「長谷寺」まで。

紅葉のきれいな山道 奈良の田舎道を50分揺られて行きました。

 

長谷寺」に着いたときは もうお昼

そのためか たくさんの人出

入山券を買うための列に並びました。

すると、秋の特別拝観があり 

国宝の本堂に入り ご本尊の十一面観世音菩薩様(約10m)の 

お御足に直接触れて お参りができるという

折角の機会なので 私は特別拝観することに。(彼女は遠慮)

 

さて、仁王門をくぐると

長い登廊が続きます。これにびっくり。

室生寺」と全く趣が違います。

本堂には舞台もあり 遠くの景色も眺められます。

「お寺と言って ひとくくりにしてはいけないね。」

「来て良かったね。」「ついてるね。」

と、二人でありがたく思いました。

 

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そして、私は、特別拝観で観音様の元へ

お御足を触って上を見ても 観音様のお顔がよく見えない

それほど高かった 大きかったです。

その間 彼女は私のために御朱印を頂く列に並んでくれ

そのあと、紅葉を楽しんで待っていてくれました。

(ありがとう。感謝。勝手言ってごめんなさい。)

 

そして、何とこの23日には「もう一つ特別」が

篠笛奏者「佐藤和也」さんの演奏会があったのです。

演奏会を聴いている時間はなかったのですが

「音合わせ」を聴くことができ これだけでも幸せでした。

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次は橿原神宮に向かって 近鉄長谷寺駅

徒歩で20分ほど 門前町を通って向かいました。

お店がずらっと 思ったよりも長く 昔から栄えていたのですね。

車も人もいっぱいで 危ない危ない。

昼からもどんどんお寺に向かって行く方がいました。

篠笛のコンサートを知っていて行くのかな。

 

橿原神宮は 明治時代にできた神社なので

あまり ありがたみを感じることができませんでした。

(ごめんなさい。)

でも、広い境内なので ゆったり散歩できました。

そして七五三参りの親子の姿があちこちに。 

 

奈良駅に戻る電車で 

これに乗って行ったのは今日の朝だよね

もっと時間がたったように思える。

神様 仏様に抱かれた一日でした。

 

京都は公家文化で「雅」という感じだけれど

奈良はその前の時代「落ち着いた」良さがあるなあと思いました。

「居場所」交流in東濃 恵那で サテライト・ポポロ

ポポロの中川さんのお話では

ひきこもりの若者の声で圧倒的に多いのは「交流したい」

次に多いのは「体験を聞きたい」「情報が欲しい」です。

今まで、そのような「場」や「機会」に

恵まれなかったということだということです。

 

岐阜市には ポポロをはじめとしていくつかの「居場所」があるのですが、

そのほかの地域には支援して下さる団体はあっても

「居場所」とまでいえるところがまだないのが現実です。

 

そこで、今年度ポポロが出かけて行って、

現地の支援団体や親の会・家族会と協力して「居場所」をつくっています。

そして、単発の「居場所」でなく「恒常的な居場所」づくりを目指していきます。

 

そのために、ひきこもり当事者の方やご家族、関心を持って下さる支援者の方にも

呼び掛けて、サテライト・ポポロを開きました。

 

今回 11月17日(日)は 

10月の高山に続いて 2回目で東濃の恵那市で開催でした。

私も元ひきこもりの親として高山に次いで2回連続で参加。

息子も不登校・ひきこもり体験者として同じく2回連続で参加。

息子も自分の体験を役立てて欲しいと 

このような会には積極的に参加してくれます。

 

2回の交流会で行ったのは 「えんたくん」

5~6人で円になって椅子に座り 膝の上に

直径1メートルの段ボールの板「えんたくん」を置いて 

交流をするのです。

円卓を囲んでいるように。良い距離で話ができます。

交流しているとき 気になったことや気づいたことを

「えんたくん」の上に置いた 円の模造紙に書き込んでいきます。

 

ひとりリーダーを決めて交流するのですが

ポポロの若者(息子も)がその役を務めるています。

今回は、人数が足らず 私もリーダーをやらせていただきました。

 

高山では若者も多かったので、

ご本人が悩みを話してくれたのですが、

恵那での若者の参加は2人だけで 親が多かったので

家族関係のことや親の悩みの話が多くなりました。

ですから、私の体験に耳を傾けて下さいました。

 

家族会に参加されるのはほとんど母親で

父親が参加されるのは 本当に少ないです。

今回も ご夫婦で参加された方がありましたが

ご主人は会場に入らず 3時間車で待っていたそうです。

女ばかりでその雰囲気にしり込みされてしまったようです。

初めて交流の場に来て下さったとのことで 

それだけでありがたいから 

感謝の気持ちを伝えることが大切だねと皆さんと話しました。

 

どこのご家庭でも 当事者本人と父親の関係は上手くいかないようでした。

社会で生き抜いてきた父親にとっては

不登校・ひきこもりは甘えやなまけと映るのでしょうね。

確かに父親の言うことは正論なのですが、

傷ついている人にとってはそれは通じないのですよね。

男と女の思考の仕組み 脳の伝達の仕方が違うのです。

男は左脳で論理的にしか考えられない。

情緒と論理と両方 右脳と左脳を行ったり来たりして考える女とは違う。

互いの思考の特性を知ることも大切ですね。

 

ちっとも分かってくれないと父親を責めても

父親も自分が言っているのが正論で当たり前のことだと平行線です。

父親も子どものことを心配しているのだから,

それを母親も認めないで 責めてばかりいると

相手もそれを感じて 余計に頑なになってしまう。

話し合うこともできなくなってしまう。

 

父親も子どものことは心配している

それがどうしたら良いのかがよく分からず

今まで自分が生きてきた方法でしか考えられないと

母親が受け止め方を変えていけば

夫婦で話し合う心の余裕がでるのではないかなと思うのです。

 

もう一つ話題になったのが

不登校の子の実態

学校生活にうまく合わせることができない子

発達障害をもつ子

高学年にもなってくれば

子どもは自分が友だちとの付き合いや学校生活に生きづらさを感じてきます

すると 学校に行きたくない気持ちになってしまいます。

「無理に行かなくてもいいよ。」「休んでも大丈夫だよ。」と

言われるようになりましたが、

それを受け入れてくれる「居場所」がやはり問題なのです。

自治体では 受け入れる支援の場をつくっていますが

その呼びかけのプリントを子どもを通じて家庭に配布しています。

ですから「そんなところへ行きたくない。」というプライドが

子どもにあるそうです。

やはり、学校へは行くものだ

学校へ行かないこと 不登校は良くないことだ

という考え方がまだまだ当たり前で

いろいろな学び方 生き方があるということが根付くには

まだまだ 時間がかかりそうです。

いろいろな学びの場があり

自分が学びやすい場を選べる社会になるといいですね。

では、今はどうすればいいのか難しいです。

親が子どものありのままを受け入れ、

子どもの自己肯定感を育てていくのが大切なのでしょうか。

 

また、今回初めて顔を出してくれた若者とも話ができました。

その方はポポロの「風のたより」で はがきを送っている方でした。

思い切って参加してくれたことが とても嬉しかったです。

彼も 発達障害を抱えていて

仕事をするのに苦労をしているそうです。

やはり 彼らを受け入れてくれる事業所などの在り方も課題ですね。

 

やはり 今までこのような交流の場が少なかったためか

話が尽きず、予定時間を過ぎても話が続いていました。

それだけでも、今回サテライト・ポポロは良かったと思います。

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(この写真はGoogle画像からで 今回の「えんたくん」ではありません。

 どんなものか紹介したくて お借りしました。)

 

12月は 西濃 大垣市での開催です。

サラマンカホール 25周年ガラコンサート

 

岐阜市にあるサラマンカホールの25周年ガラコンサートへ行ってきました。

700席ほどの小さなコンサートホールですが、とても音響の良いホールです。

 

このホールの自慢は音響の良さだけではなく、パイプオルガンです。

岐阜県加茂郡白川町で オルガン工房を開いていた辻宏さんの建造です。

辻さんは スペインのサラマンカ大聖堂にあった「鳴らずのオルガン」と呼ばれていた

ルネッサンス期の古いパイプオルガンを修復し、その事業に岐阜県も協力したというこ

とで、サラマンカの名前をいただいているのです。

ですから、サラマンカホールのパイプオルガンは大聖堂のオルガンの様式を取り入れた

ものなのです。

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トランペットのように前に突き出したパイプが特徴 (facebookの写真より)

ガラコンサートの出演アーティストも素晴らしい方たちでした。

 

ウィーンフィルウィーン国立歌劇場管弦楽団の元コンサートマスター 

                   ライナー・キュッヒルさん

ウィーン国立歌劇場管弦楽団チェロ奏者で

  ニューイヤーコンサートのNHKの解説でお馴染み

              ベルンハルト直樹ヘーテンボルクさん

その弟で ピアニストの ユリアン洋ヘーテンボルクさん

ヘーテンボルクさんは3兄弟で 上に和樹さんというバイオリニストも。

そして、なんとお母様は(岐阜県大垣城主戸田家のご出身だそうです。

 

他にも岐阜にご縁の方ということでびっくりしたのが

日本を代表するギタリストの荘村清志さん。

何と、私の小中学校の先輩だったのです。

 

そして、フルートの工藤重典さん

ピアノの仲道郁代さん      など

 

 

このアーティストさんたちがソロ・デュエット・アンサンブルなどで合計13曲

 

 

サラマンカホールでのピアノソロは初めて聴きました。

もちろん仲道さんのテクニックの素晴らしさもあるのですが、サラマンカの音響もあっ

てか ピアノの音色が豊かというか輝いている感じがしました。

 

ビバルディのチェロ・ソナタは バロック時代そのままに

チェロ(新倉瞳さん)チェンバロ曽根麻矢子さん)での演奏

 

カルメン幻想曲は工藤さんのフルート

荘村さんがピアノだったものをからギターにアレンジした曲で

お二人の超絶技巧に拍手。

 

ウィーンご出身の3人で演奏されたピアノ・トリオ「美しく青きドナウ

オーケストラの曲だけれど 大満足でした。

 

パイプオルガンはバロックの古い曲というイメージですが

何と スターウォーズ・メドレー

あのラッパのようなパイプが スターウォーズにピッタリなのです。

オルガン奏者は 石丸由佳さん

 

最後に 出演者全員とサラマンカホール・フェスティバル・オーケストラも含めて

「天国と地獄」序曲

9人のソリストが全員演奏できるような曲はありませんから、

この日のために倉知竜也さんが編曲された曲なのだそうです。

本当にすごい ガラコンサートならでこそでした。

 

そして、アンコール曲「威風堂々」も。

 

 司会の朝岡聡さんのお話や出演者の方へのインタビューなどで

曲の紹介やエピソードも聞かせてもらい、音楽をより身近に感ことができました。

本当に贅沢な重厚な3時間を過ごすことができました。

 

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出演者の皆さん (サラマンカホール

 

小学校低学年の不登校 心配しなくて大丈夫

天気予報を見ていたら、北海道はすごい雪ですね。

岐阜でも、朝晩は冷え込んできています。飛騨の方では雪も降ったようです。いよいよ

冬ですね。近くの小学校では、インフルエンザで学年閉鎖が出たという情報も入ってき

ました。 まだ、予防接種を受けていないので、予約しなくては・・・

 

さて、

不登校・ひきこもりで いいんだよ NO.5

 

私は職業柄、小学校低学年で不登校になった子たちも見てきています。

そして、半年~2年間ぐらいで また登校できるようになり、その後は元気に学校に

通い続けている姿も見ています。

 

お母さんたちにとって、学校へ行けず、登校させようとすると泣いてすがってくるお子

さんを見ると、

「なぜ、うちの子が・・・」ととても辛い、悲しい気持ちになりますよね。

「自分の子育てがまちがっていたのではないか。」と、自分を責めてしまいますよね。

 

でも、不登校 ひきこもりの世界では、小さいうちにその状態になった方が、回復が早

いのですよ。

年齢が高くなあるほど、社会とのいろいろな接点や体験から問題が複雑化して、子ども

さんの悩みも大きくなり、回復にも時間がかかってしまいます。

だから、私は、「今、SOSを出してくれて良かったね。」と思ってしまいます。

私の経験上、そう思ってしまうのです。不謹慎と言われそうですけど。ごめんなさい。

 

私が最初に、家族会や面接で

「ひきこもった時の年齢と 同じ年月がかかると思って下さい。

 子どもたちは育ちなおしをするのですから。」

と聞きました。

息子は15歳で不登校になりひきこもりをしたので、15年間。30歳まではかかると思っ

ていて下さいということでした。

 

それに比べたら、小学校低学年の場合は回復が早いです。

私が知っている範囲では、同じ年月かかったお子さんは一人もいません。

お母さんにとっては大変なことだけれど

お母さんが 悲しい顔を見せず 明るくにこやかに 

今までと変わらない大きな気持ちで子どもさんを包んであげれば絶対大丈夫です。

ちょっと、お母さんたちにも頑張ってもらわなければならないこともありますけど。

 

小学校低学年の子が不登校になる理由としては

・学校になじめない

・担任の先生になじめない

・友だちにいやなことを言われた 

・給食が食べられない

など、学校のことがきっかけとなっていること

・お母さんが仕事を始めた

・赤ちゃんが生まれた

・お父さんとお母さんがよくケンカをしている

など、家庭のことで不安があるとき

他にも、これといって原因が見当たらないこともあります。

 

よくある些細なことがきっかけとなっていますが、

お子さんによっては それに心を痛める感じやすい優しい子もいるのです。

 

不登校になる子は 優しくて 感受性が強い子です。我慢強い子です。

 

お母さんに 頑張ってもらわなければならないことは、

一緒に登校してあげて欲しいということです。

お子さんは 学校に対して不安を抱えていたり 

      お母さんと離れることに不安を抱えていたりします。

だから、お母さんも一緒に登校して その不安を和らげてあげて下さい。

低学年の子は まだお母さんと一緒に登校することに

恥ずかしさは感じていません。甘えることがまだまだ嬉しい年齢です。

 

NO.4「過保護」の必要性で書いたように

幼児期は「愛情欲求」の時期です。

実は、低学年で不登校になる子には ある共通点があるということです。

それは「優しい いい子」「親にとって手がかからなかったいい子」

 

例えば

親や家庭が忙しくて 「自分が甘えたら 困るだろう」と気を遣ってしまう子

弟や妹が生まれて 「自分も甘えたい。でも、お姉ちゃんだから。」と我慢した子

障害のある兄弟がいて 「自分まで親に面倒をかけてはいけない。自分も手伝おう」と

する優しい子

 

お子さんも 自分がそんなふうに遠慮して我慢しているなんて 分かっていませんし、

お母さんたちも お利口な子たちが 我慢している 遠慮しているなんて 思っていま

せん。いい子だから助かるわと思っていたのです。

お母さんは 大切な大好きな我が子に 愛情と感謝はもっていたのです。

誰が悪いというわけではないのです。

ボタンの掛け違いなのです。

それぞれのご家庭の都合で 

  仕方のなかったこと 自然な状態のなかで起きたことなのです。

その状態の中で、

  子どもさんは自分が気づかぬまま 十分な愛情を感じず育ってしまったのです。

 

だから、子どもさんは お母さんが一緒に登校してくれたことで

お母さんの愛情をたっぷり受けることができ 満足できるのです。

すると、安心して 再び一人で登校えきるようになるのです。

 

もちろん、一緒に登校しようとしても できない日もあります。

校門まで行って 入れない日もあります。

それでいいのです。

決して無理はする必要はありません。

教室に入れないときは、保健室でお話をしていてもいいのです。

 

子どもさんによっては 教室の中までお母さんにいて欲しいという子もいます。

廊下で、お母さんに見ていて欲しいという子もあります。

休み時間に お母さんに会いたいという子もあります。

 

いずれにしても

学校の先生に相談して頂いて お子さんが登校しやすい環境にしてあげてください。

 

半年~1年ほど お母さんもお子さんと一緒に頑張って下されば

徐々に お母さんと離れることができるようになってきます。

そして、新学年になるときとか 学期の変わり目などに

「一人でも大丈夫。」「一人で行く。」

 

と、自分から 登校できるようになります。

 

お母さんや家族の愛情をたっぷり受けると

低学年の不登校は 回復します。

まだまだ 純粋な心をもった時期ですから。 

 

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内なる自分を観る


11月の3連休、良いお天気に恵まれましたね。

私は 中津川(岐阜)での、道徳会館の心の勉強会に参加してきました。

 

弥勒様道徳会館と聞くと、新興宗教?怪しい?と思われる方もあるかもしれません。

ネットで見ても 賛否両論。

確かに、私も始めは??? でした。

「宗教ではない」と言われながら、宗教法人となっている???

新興宗教だと お金をとられるとか、変なものを買わされるとか・・・

弥勒様と言ったら、仏教だし・・・

 

家庭のことで悩みがあった私。

相談した方から教えていただき、

まず、自分を変えなくてはと心がけてきた。

そして、少しずつ自分も変わっていって 家庭も良い方向に向かってきていた。

しかし、そこに起きた 夫からのひどい言葉(実父の「戒名事件」)

自分の気持ちを夫に伝えたが、夫に分かってもらえない。

夫は自分の正当性だけを主張する。

自分は変わろうと努力してきたのに、

これ以上私はどうしたらいいのか 分からなくなった。

 

そんなときに紹介されたのが 弥勒参拝。

「玄関(第三の目)を開いてもらえる。

 開くだけで、人生変わるよ。」 と言われ

「第三の目」という話は聞くが、それを開いてもらえる?

そんなことできるの? どうやって? と思いながら

 

「そのとき1回だけでいいよ。」と言われ

開いて 自分が何をしたらよいの分かればと 金額も高くないしと

軽い気持ちで 「開運弥勒参拝」に参加したのが2年前。

 

すると、なぜか 私の場合は、自分がやりたいと思っていたことが

どんどん進むようになった。

不登校やひきこもりで悩む若者やご家族のお手伝いをしたい」ということ

 

このblogを書こうと思いついたのもその一つ。

ネットはやっても SNSには興味がなかった私が

他の方のブログを覗いたこともなかったのに

なぜか なぜか 思いついてしまった。

そして、思いついてから 即娘に聞いて 準備し

2か月後には1回目の記事を書いてしまった。

 

そのほかにも、自分が思いついたことを

どんどんやっていく自分になっていた。

人の中に自分から入っていき

その方たちから 協力をしていただけるようにもなった。

消極的で 優柔不断だった私が・・・と 自分でびっくり。

 

弥勒様を紹介してくれた友だちも 私の変わりようにびっくり。

そして、喜んでいてくれる。

 

「第三の目を開く」と言っても、

実際に開いたのかなんて分からないけれど、

実際に起きている現象からみると そうなのだろうと信じるしかない。

 

「第三の目」で何を観るのか

それが 内なる自分

自分のなかの 本来の自分 良心を見つめる

 

私たちは つい世間体とか しがらみとか 社会常識とかに縛られて

周囲を気にして、物事を考えてしまう。

それは本来の自分を覆っている側の私 仮の私の考えで 本来の私ではない。

煩悩が生まれてくる。

周囲が悪いと考えるから 悩みが解決できない。

かと言って、自分が悪いと自分を責めることではなく

受け止め方を変えるということ

 

本来自分がもっている良心で考えればいいということ。

自分の人生だから 自分が主導権をとればいい。

他人のせいにしていると、他人に自分の人生の主導権を与えているということ。

受け止め方を変えればいいということ。

ありのままを肯定していけばいいということ。

 

自分は今こんなふうに考えているなあと

自分の心を見つめていけばいいということ。

あの人はなぜああしたのだろうと考え

自分の心を静かにすればいいということ。

すると、悩みが悩みでなくなってきた。

 

自分を見つめてきたら、今まで自分に起きた出来事、与えられた試練は

自分を成長させてくれるものだったと気づくことができた。

夫との関係も良くなってきた。

今、今までの人生で一番幸せを感じている。

そして、自分を好きになることができた。

そして、何にでも素直に「ありがとう」と言える。

寝るときに 今日も一日「ありがとうございました。」と言っている。

 

人に「教え」を求めるのが「宗教」で そのために経典や聖書などで学んでいく。

人の生きる「道」は、本来自分の中にあり、それを見つめていくのが「先天大道」で

自分で悟っていく。

だから、「宗教」とは違うということも、分かってきた。

 

 

これからも、自分がおごることなく焦ることなく 

回向返照し 自分に素直になりたい。

協力して下さる方々に感謝して 人との調和を大切にして

日々出会う、様々な人・事・物とのご縁を大切にして

真心をもって 自分のやりたいことに向かっていきたいと思っています。

 

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過保護 必要なことだよね

 

不登校・ひきこもりで いいんだよ NO.4

 

「過保護と過干渉」について書くと言いながら、一か月半が経ってしまいました。

パソコンが壊れたこともありますが、実はどう書こうかと迷ってもいました。

 

皆さんは、「スポック博士の育児書」というのをご存じですか?

アメリカの小児科医「スポック博士」が唱えた子育て法で、昭和41年に日本語版が出

そうです。若い方はご存じないと思いますが、お母様方ならご存じで、それによって

育てられた方もあるかもしれません。

 

私も子育て中 凡その内容を聞きました。

「子どもが泣いても抱かない。泣き癖がつくから。」

「3か月以降になったら、夜泣きしても放っておく。子どもの自立を妨げるから。」

「4~6か月で早期離乳し、母乳よりミルクを与える。

 おっぱいに甘える癖がつくから。ミルクのほうが栄養価が高いから。」

などが、記憶に残っています。(記憶なので、ごめんなさい。でも、ネットで見るとや

はりそのようなことが載っています。)

 

私は、「スポック博士の育児書」は読みませんでしたが、それが、バイブルのように扱

われ、日本の育児書にも大きな影響を与えていたようです。

そして「スポック博士の育児書」には乳幼児の画一的な標準発育モデルも示されていま

した。

それが、母子手帳にも採用されており、母親の子育ての参考にされました。

核家族化してきたころで、初めて子育てをする親たちが育児書にかじりつき、自分の子

どもがその通りに育っていない、自分の子は発育が遅い、異常ではないのだろうか、自

分の子育てがおかしいのではないかと、悩む人も出ていました。

子どもは、一人ひとり違って、発育が早い遅いがあって当然なのだし、子どもにも得手

不得手があって同じようにできないことも当然なのに。

育児書は あくまでも参考なのに。

 

ですから、現在30代、40代の方は、少なくともその影響を受けた子育て法で育てられて

いるのです。

「子どもの自立」を促しているようですが、アメリカで女性の社会進出により「自分が

楽をしたい」と流行ったものが、そのまま日本に入ってきて、日本の子育ても惑わされ

てきたのです。

「子どもの甘えは自立にとってよくない」とされてきたのです。

 

親は「自分が育ったように、子どもを育てる」

だって、自分が育てられた方法しか、子育ての方法は知らないのですから。

だから、若いあなたも、少なからず「スポック博士の育児書」に影響されているかもし

れません。

 

実際に「子育て」を経験したことのない「男性が書いた育児書」

今思えば、可笑しいですよね。それが、全世界の母親を惑わし、育児に影響を与えてし

まった。

 

 

ここからは、私の持論。

人間の赤ちゃんは、他の動物に比べると「超~未熟児」で生まれてきますよね。

草食動物の赤ちゃんは、生まれてすぐに立ち、歩き始める。

肉食動物でも、自分からお母さんのおっぱいを探して飲む。

 

ところが、人間の赤ちゃんは何もできない。

ただ、泣いて自分をアピールするだけ。

「お腹がすいた。」

「おしっこが出た。気持ち悪い。」

「眠い。」

「怖い。」  などなど

 

それを、世話をして 守ってあげることができるのは

そう、親ですよね。

温かく抱かれてお乳をもらい

母親の愛情と 心地よい心臓の鼓動で安心して眠る。

 

自分の足で自由に動き回り

自分の手で自由にいろいろできるようになり

自分で物事を考えることができるようになるまで、

親が見守り手を貸してあげる必要があるのではないでしょうか。

他の動物以上に

「無償の愛」と 「大きな保護」を必要として生まれてくるのが、人間だと思うのです。

 

子どもが甘えてくるのは

自分のことを見ていてほしいとき

自分の話を聴いてほしいとき

不安だから、頼りたいとき

まだ上手くできないので、手伝ってほしいとき

一緒にいて遊んでほしいとき(子どもは遊びながら覚えていく)

自分ができるようになったことを認めてほしいとき

などなど いろいろあると思いますが、

子どもにとって必要なときだと思うのです。

 

子どもが甘えたいときに 甘えさせてあげるのは大切だと思うのです。

甘えられなくては 不安が残ってしまいます。

「過保護」と思われるかもしれませんが、「子どもが甘えたいときに甘える」

これは、必要なこと。(池川明先生も言われています。)

 

それを、甘え癖がつくからとか

今、忙しいからとか いって

子どもが甘えることができなかったら

子どもは「安心感」がもてず、寂しく不安定な心のまま育ってしまいます。

 

親に守られ「安心感」をもった子は

そこで満足して「外の世界」へ羽ばたいていくことができるのです。

ここで初めて「自立」ができるのです。

 

これは、舛田先生などフレンドスペースの親の会で何時も聴くことですが、

「存在を丸ごと受け止められ、愛され守られてきた子は外の社会に出て、困難なことに

あっても、乗り越えていくことができる」

それは、

「心の居場所があるので 何かあっても安心して頼るところがあり、

 大丈夫と思えるから。」

 

「心に居場所がなく 不安定な子」は頼るところがないので、

学校で困難なことに出会うと不登校になることもあるのです。

 

 

だから「過保護」は問題がなく、

甘えたいときに甘えさせて満足させてあげることは 必要なのです。

 

「過干渉」というのは

子どもが甘える必要がないときに、親が先走ってやってしまうこと。

 

親が勝手に心配して 子どもがやろうとしていることをとってしまったり

子どもの思いを大切にせず、自分の考えを押し付けたり

子どもの前にレールを敷いて その上を走らせようと思ったり

 

すると、親がいなくては 何もできない子になったり

親や社会に反発したりして

「自立」できない子になってしまいます。

 

「過保護」と「過干渉」は全く違うのですね。

 

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 図(フレンドスペース、SCSカウンセリング研究所 舛田宏子先生のお話より)

「心の成長」の図です。

乳幼児の時期に愛情をいっぱい受けて育った子は、自己肯定感が高く自信をもっているので、社会に出て何か困難にあっても、そのまま進んでいけますが、土台となる愛情を感じずに育った子は、自己肯定感が低いので自信がなく、困難があると家庭に・乳幼児期に戻ってしまう。これが、不登校・ひきこもりだそうです。

 

長くまとまりのない話になってしまい、すみませんでした。